・説教 マルコの福音書14章1-9節「予想外の出来事」
2019.05.05
鴨下 直樹
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今日の説教題を、「予想外の出来事」としました。今、私たちは10連休という大型連休を過ごしています。明日は月曜ですが、明日もまだ休みです。こういう連休が来るというのも考えてみれば予想外の出来事で、今年の新年にカレンダーを購入した方は10連休にはなっていませんでした。天皇が退位し、新しい天皇が5月1日に即位の式をするということで、10連休になったわけです。こういう予想外の出来事というのは考えてみるととても嬉しいことだと言えると思います。そしてこの連休、みなさんは何をなさったのか聞いてみたい気がしますが、案外いつもと同じように過ごされた方も多かったのではないでしょうか。
金曜日に家の片づけをしようということになりまして、近くのホームセンターに行きましたら、同じことを考えている人が大勢いるようで、ホームセンターの駐車場はいっぱいでした。思っていたよりも、楽しい休日になったという方もあるかもしれません。けれども、この予想外というのは、なにもいいことばかりとは限りません。悪いことだって起こりうるわけです。病気になってしまった、事故をしてしまった、ひょっとするとそういう方もあるかもしれません。
聖書を読んでいて、私たちが心を引き付けられるのは、主イエスのなさること、あるいは神様のなさることというのは、いつも私たちの予想を超えているところにあることです。今日の聖書の箇所も、比較的有名な箇所です。ある女が非常に高価なナルドの香油を持ってきて、主イエスの頭に注いだという出来事が記されています。そういう中で、案外気に留めずに読み進めてしまうのですけれども、ここには驚くようなことがいくつも書かれています。まず、1節を読みますとこう書かれています。
祭司長と律法学者たちは、イエスをだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していた。
主イエスがエルサレムに来られてまだ数日しかたっていないのですが、神殿を中心としたイスラエルの宗教指導者たちはイエス殺害を決めたと書いてあります。人を殺すことをひそかに決める宗教というものに、私たちは脅威を感じます。ちょっとまともな信仰とはいえないなと考えるわけです。そういうことがここに、さらっと書かれています。
しかも、そういう状況の中で、主イエスは今、どこにおられるかということが3節に書かれています。
さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられた時のことである。
とあります。これまでの訳ではこの「ツァラアト」はハンセン病とか、らい病と訳されていました。今はハンセン病・らい病に結びつけるのは不適切だということで、原語をそのまま訳語に充てていますが、この病に冒されると、その当時は人と一緒に生活することはできませんでした。村の外に出なければならないわけです。そういう病、つまり、伝染すると考えられていて、隔離しなければならないという病です。そういう病気のある人の家に集まっていたということがここに何でもないかのように、書いてあるわけです。
しかも、そこに「ある女」と書かれた人が登場します。名前をこのマルコの福音書は書いていません。しかも、この人は非常に高価な香油をもっているので、おそらく売春婦であっただろうと聖書の解説には書かれています。他の福音書ではこの人はマタイの福音書に出てくるマグダラのマリアであったのではないかと考える人が多くいますが、そのことも、実ははっきりしていません。
隔離しなければならないような皮膚病を患った人の家に、主イエスは客としてそこに滞在されていて、そこには売春婦のような人たちも集まっていたというのです。ちょっとありそうにない場面です。主イエスが罪びとの傍らにおられるということがどういうことなのかが、ここによく表されていると言えると思います。主イエスというお方は本当に、罪びとと共になられるお方なのだということが、ここでは明確に書かれているわけです。
そこで、出来事が起こるわけです。そこにいた、売春婦と思われる人が時価に換算して300万円相当の香油を惜しげもなく、主イエスの頭に注ぎかけたわけです。300デナリというのはそういう金額を意味する言葉です。 (続きを読む…)