・説教 創世記29章1-30節「ヤコブとレアとラケル」
2020.09.13
鴨下 直樹
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今日の聖書は、とても興味深い箇所です。今日の聖書箇所に出てくる登場人物は4人です。この物語の主人公でもあるヤコブ。そして、ヤコブの母リベカの兄であるラバン。そして。ラバンの二人の娘であるレアとラケルの四人です。
私が聖書を読んでいて面白いと思うのは、聖書にはへんなお世辞はありません。最近の言葉で言うならば「忖度がない」のです。ヤコブは後にイスラエルと名前が変わりますが、そういうイスラエルの物語だから美しく書いておこうというような記述はないのです。
また、誰から見てなのか分かりませんが、この二人の姉妹の美しさを書いています。レアはそれほど美しくなかったようで、それに比べて妹のラケルは美しい女性でした。よく考えてみますと、ヤコブも、イサクも、アブラハムもそうですが、聖書はこの男性たちが美しかったとかイケメンであったというようなことに、あまり興味がないのか知りませんが、そういうところは書いておりません。ところが、女性のこととなるとそうではないのです。
現代ならセクハラ案件なのかもしれません。そもそも美しいというのは、誰目線なのかも、実ははっきりしないのです。もし、神様目線だということになると、大変です。もしそうなら、それこそ寝る時も、お風呂に入る時も、神様に綺麗に見せるためにお化粧しなくてはならなくなるのでしょうか。
実は、先日の聖書の学び会の時に、ある方が私にこんな質問をされました。
と言われたのです。
今日の聖書の話を自分に当てはめてみてどうかという質問に、実はいろいろ思うところがあって、どう答えようか、しどろもどろになっていますと、その方が続けてこう言われたのです。
と言われました。それを聞いていた皆さんは笑われたんですが、私も少しほっとしながら、残念ながらお姉さんとは出会いがなかったんですと、答えました。
こういう聖書の質問ではないものは、時々、どう答えたものかとドキドキします。まぁ笑い話ですむのであればよいのですが、どちらが美しいかというような個人的な好みというか、感性の問題になると、どう答えてよいか分からなくなってしまいます。
聖書はそういうきわどい話を、このようにさらっと書いております。それでは、美しいと評価されたラケルがすべての点において、神の目に留っているのかというと、そうではないわけです。
それは、また来週の話になりますが、神は決してこの姉のレアを軽んじていたということではないことが、この箇所を読んでいきますと、だんだん分かってきます。
さて、今日のところでいうと、まず、ヤコブです。ヤコブは長い逃亡生活の果てに、ついに目的地であるハランにたどり着きます。着いたと分かったのは井戸のある場所です。聖書を読むと、その井戸のしきたりがまず書かれています。そこで羊に水を飲ませるためには、すべての群れが集まってから井戸をふさいでいる石をどかして、飲ませるのです。そうすることで、少ない水を勝手に飲ませて争いになるのを避けたのです。
ところが、このところで、ラバンの娘が羊の群れを連れてやって来ることを知ると、ヤコブはそれまで話していた、他の群れの人に、「まだ日も高く、羊を集める時間でもないから、水を飲ませたらさっさと羊を連れて行ってはどうか」と提案し、ラバンの娘のラケルがやって来るや否や、勝手に石をどかして彼女の羊に水を飲ませる始末です。
ヤコブ一人が盛り上がって、涙を流し、感動の対面を果たして、ラケルにキスまでするのですが、周りにいる人々にしてみれば一体何が起こっているのか、というような出来事なのです。
最近の言葉でいえば「ドン引き」ということなのかもしれません。本人ひとり盛り上がって感動して、涙を流しているのですが、聖書の書き方はいたって客観的です。 (続きを読む…)