・説教 創世記２２章１－１４節「イサクの犠牲に見る信仰」
文学と芸術をテーマにした礼拝
2025.06.29
鴨下直樹
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今日は、少し変わったテーマで礼拝をしています。「文学と芸術」をテーマにしています。先程は、長い間岐阜県美術館の館長をしておられた古川さんが、いくつかの俳句を取り上げてくださり、「美」というテーマでお話しくださいました。
実は、古川さんにお話をお願いしたのは、一つの出来事があったからです。以前、子ども食堂の時に古川さんが、ボランティアをしてくれている中学生たちと会話をされていました。その会話の中で、人とは違う外れたところ、そこに「美」があるという話をなさったのです。中学生たちは興味深そうに、その話を聞いていました。自分に自信が無いと言っていた彼らが、とたんに元気になって、みるみる自信に満ちた顔つきに変わっていきました。人とは違っていてもいい。自分なりの違いが自分の武器だと気がついたのです。
考えてみれば、芸術でも文学でも確かにそうです。誰かが、何かを描こうとする時にも、その人なりの視点というのが、その人の強さ、魅力になっていくのです。
『イサクの犠牲』カラヴァッジョ
最初に、二人の人の絵を紹介したいと思います。テーマは同じ、今日の聖書箇所である「イサクの犠牲」です。1枚目の絵はカラヴァッジョの絵です。１６世紀のイタリアの画家です。光と闇を使い分けながら、光を巧みに使うことでカラヴァッジョの表現したいものに、光が投げかけられていきます。またカラヴァッジョは、聖書の人物を描く時にも、実際にその人が目の前にいるかのような表現をします。ここでもイサクの苦しみや恐れの表情をとても生々しく描いています。イサクを犠牲として殺そうとしている父アブラハムの顔も、とても特徴的です。アブラハムは止めようとする天使に対して、いぶかしむような顔をしています。ナイフを持つ手には力が入っていることが見て取れます。このようにして現実的な一人の父親の葛藤の様を描き出しています。
『イサクの犠牲』レンブラント
もう一枚、このテーマを描いたもので有名なのは、レンブラントの描いた「イサクの犠牲」の絵です。レンブラントはカラヴァッジョの次の世代、１７世紀のオランダの画家です。カラヴァッジョと同じように、光がどのように差し込んでくるのかという、光の明暗の使い分けをする画家です。ただ、レンブラントの特徴は、光が演出のためではなくて、神の恵みを表現していることです。このレンブラントの絵では、光がイサクの体全体にあたっています。神の眼差しが、暖かくイサクを包み込んでいることが分かります。
面白いもので、同じテーマでありながら少しずつ視点が違うというのがよく分っていただけると思います。
この「イサクの犠牲」という聖書のテーマは、実に多くの人に、さまざまな疑問を投げかけた聖書箇所です。というのも、そもそもの大前提として「人を殺してはならない」という命題があります。これは、絶対的に正しい真理です。ところが、神はアブラハムに自分の最愛の息子イサクを「全焼のささげ物として献げなさい」と言われたのです。ここから、「倫理」と「信仰」はどちらが優先されるかという問いをもたらしたのです。
少し、「全焼のささげ物」について説明する必要があるかもしれません。「全焼のささげ物」というのは、神様にすべてを燃やし尽くして献げることで、すべては神様のものですということを表現していました。また、全部燃やすことで、ささげ物の匂いを嗅がれた神様がこのささげ物をした人の思いを受け取ってくださったことを表していました。
ただ、このアブラハムの場合、問題が一つありました。というのは、神はこの時、アブラハムに子孫繁栄の約束をすでに与えておられたのです。ところが、アブラハムには、なかなか子どもができませんでした。このアブラハムの息子イサクはアブラハムが９９歳の時にやっと与えられた子どもです。ですからこのイサクを献げてしまうと、もうこの子孫繁栄の約束はかなわないことになってしまいます。
つまり、いろんな意味で、この神様の命令は矛盾をはらんでいたわけです。そもそも、神様へのささげ物は、子羊や、山羊や、牛などを献げることはあっても、人間を献げるなんてことは、聖書の中に出てきません。だから、どうしても、この神様の命令は納得し難いテーマとして、多くの画家や文学作品の中に取り上げられてきたのです。
次に、この問題を文学という形で記した人を二人紹介したいと思います。先ずは、１9世紀のデンマークの著述家であったキェルケゴールの『おそれとおののき』という作品を紹介したいと思います。キェルケゴールは思想家、哲学者、元牧師と、いろんな側面をもっています。この『おそれとおののき』という作品は、そのまま、この創世記２２章のイサクの犠牲をテーマにしています。
キェルケゴールはこの作品の中で、信仰者の心の葛藤を描き出そうとしました。人を殺してはならないという、この命題は絶対的に正しいはずなのですが、それでも、イサクを犠牲として献げるようにという神からの命令は、一体何を要求されているのかということを考察するわけです。そこで、キェルケゴールは「信仰は倫理を超えるのだ」という結論に到達します。倫理的には間違っていたとしても、神との関係の中では、それは可能となるのだというわけです。そこで、キェルケゴールは「倫理の停止」とか「信仰の跳躍」という表現を使って、このことを説明していきます。
もう一人、日本の森有正という思想家であり、哲学者がいます。この森有正は、自分の生涯の中で、何度もアブラハムの信仰についての作品を書いています。この森有正は『アブラハムの生涯』という作品の中で、やはりこのイサクの犠牲について記しています。この人は、ここでとても興味深いことを書いています。
「ほとんどの聖書学者は、信仰とは服従することだ、この聖書箇所は、私たちに神に服従することを教えている、と書いている。しかし、こういった不条理な物語から、何か教訓を引き出すべきではない」と森有正は言うのです。というのは、自分の子どもを献げなさいという命令があったとして、これは、誰も絶対に守ることができないからだと言うのです。こういう聖書の箇所から教訓を取り出すと、みんなが同じようにしなければならなくなります。しかし、これはそういう話ではない。だから、これを一般化してはダメだと言うのです。そして、もし、こういうことが起こった時には「私たちは黙ってそれに対処するのだ」と言います。森有正という人は「経験」ということを、とても大切にしている人です。ここでも、森有正は、このイサクの犠牲という出来事は、教訓として受け止めることではなくて、深い個人の経験として、沈黙の中で受け取る試練なのだと言っているのです。
同じ出来事を、誰もが同じように受け止めていくわけではありません。人それぞれに受け止め方は異なります。絵画でも、文学でも、同じ物語であっても、それぞれがそれぞれの受け止め方をしていくのです。
サリー・ロイドジョーンズの『神様とともに歩むための１０１のヒント』という小さな書物があります。子どもと一緒に聖書を読むためのものです。美しい一枚の絵とともに、短いメッセージが添えられています。その本の中に、鳥の話が記されています。ワシの話です。ワシは飛び方を教えるために子どもを巣から追い出してしまうのだそうです。子どもは落っこちながら一生懸命に羽ばたきます。そして強くなっていくのだそうです。親は何度も何度も子どもを翼で受け止めると、また上に戻してやる。そうやってついに飛べるようになるというのです。そして、子どもは飛べるようになって気づきます。「ぼくは飛ぶために生まれて来たんだ！」と。そんなことが記されています。
その話を読みながら、このアブラハムに神がなさったこともそうではなかったかということを考えさせらます。アブラハムはこれまでの人生の中で何度も何度も過ちを繰り返しながら、少しずつ成長していきます。そして、神は息子イサクが大きくなるのを待って、アブラハムに教えようとしておられる。「私は主を信じるために生まれたんだ！」ということを。それこそが、この試練の本当の意味なのだということが、まさにここでアブラハムに問われているのです。少し聖書を見てみたいと思います。
モリヤの山に向かう途中でイサクが父アブラハムに尋ねます。7節にこう書かれています。
イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」
子どもに尋ねられた時、アブラハムは「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」と答えます。こう答えた時、アブラハムは本当にそのように信じていたのではなかったのかと考えさせられます。それほどにアブラハムの行動には迷いが無いように見えます。
やがて二人が目的地であるモリヤの山に着くと、アブラハムは祭壇を築いて、薪を並べ、イサクを縛り、彼を薪の上に載せます。そのように、聖書は淡々とこの時の出来事を記していきます。
１０節。
アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
カラヴァッジョやレンブラントが描いたように、アブラハムは本当に息子を殺すつもりで、その刃物を手に握っていたはずです。そして、屠ろうとした瞬間、神からの介入がなされます。このわずかな時間の出来事の中で、アブラハムの心の中にはさまざまな葛藤があったはずです。ただ、ここから明らかに分かることは、アブラハムは主の命じられた通りに行ったということだけです。
１１節をお読みします。
そのとき、主の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
アブラハムはこう答えます。「はい、ここにおります。」と。このアブラハムの言葉の重みを私たちはこの言葉を通して知るのです。
「はい、ここにおります。」主よ、私はここにおります。あなたからの試練から逃げ出すことなく、今ここに私は立っています。薪をならべ、息子を縛り、その息子をほふるために刃物を取って息子に手をのばしている私が、今ここにおります。あなたの仰ることに、完全に聞き従うことを知った私が今ここにいるのです。
アブラハムのこの言葉の中には傲慢な響きはありません。自己陶酔するような言葉でもなければ、主を責めるような言葉でもありません。ただ、神と私というその間に何も入れない、神と対峙している信仰者アブラハムがいるだけなのです。
１２節。
御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
この主の御使いの言葉を聞いた時、アブラハムは自分が信じたことの答え合わせをすることができました。私が信じたお方は、私が信頼し、私を生かして下さり、イサクを与えてくださった主は、確かに真実なお方であったということを、改めて知ることになったのです。
いろんな哲学者や思想家が、この時のアブラハムの心境を理解しようと思索を重ねます。自分がその場に置かれてみないと到達できない信仰の深い経験がそこに描かれています。ただ、私はこう思うのです。息子を手にかけようとしたアブラハムの「はい、ここにおります。」という言葉の中に、神の命令に徹底的に信頼しようとしたアブラハムの姿があると。このアブラハムの信仰の姿に、人々は惹かれて、絵を描き、作品を書き記すのです。
ここでアブラハムが経験しているような試練を私たちは味わうことはないのかもしれません。ただ、レンブラントの絵を見ても思うのです。息子を犠牲に献げるという中にあって、神の光が暖かく包んでいたではないか。これが、レンブラントが描こうとした神の姿です。私たちが試練を経験する時にも、私たちは気づいていないかもしれないけれども、神の眼差しが私たちに注がれているはずだと、私たちは信じることはできると思うのです。そして、「はい、主よ、わたしはここにおります。」と私たちは答えることができるのではないかと。
神は、私たちのことをよく見ていてくださいます。アブラハムがこのような試練を受ける前に何度も何度も、その人生の中で訓練を受けてきたように、私たちと共に歩んでくださるお方です。この主と共に歩む幸いを、是非みなさんに味わって頂きたいのです。
お祈りをいたします。
