2019 年 8 月 1 日

今月の礼拝予定(2019年8月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:02

8月4日 三位一体後第7主日

主日主題: 伝道
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: 使徒の働き17章1-9節
説教:「パウロのテサロニケ伝道」鴨下直樹牧師
子ども: 「テサロニケでの伝道」鴨下愛

午後:芥見教会次世代プロジェクト委員の話し合い、役員会

8月11日 三位一体後第8主日

主日主題: 神の愛
ファミリー礼拝: 午前10時30分
聖書: 第1テサロニケ1章1-10節
説教:「神に愛されている兄弟たち」鴨下直樹牧師

午後:礼拝準備会・月間予定確認会、誕生月の祈り、流しソーメン、聖歌隊練習(14時~)

8月18日 三位一体後第9主日

主日主題: いのち
公同礼拝: 午前10時30分
聖書:
説教:加藤信義長老(古知野教会)

午後:加藤長老を囲んで昼食、手話講座

8月25日 三位一体後第10主日

主日主題:喜び
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネ福音書15章16節
説教:「神の任命」庄司好男主事

午後:庄司主事を囲んで昼食

2019 年 7 月 21 日

・説教 マルコの福音書16章1-8節「空虚な墓」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 13:38

2019.07.21

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 ここにとても美しい物語があります。安息日が終わりました。当時は日が沈むと一日が終わりと考えられていました。ですから、夜から新しい日と考えたのです。主イエスが亡くなって墓に葬られてから、ここに名前の記されている3人の女の弟子たちは気が気ではありませんでした。何とか早く主イエスの埋葬された遺体に油を塗って死の備えをしたいと思っていたのです。それで、油を安息日が終わったその晩のうちに準備したのでしょう。そうして夜が明けるのを待って、墓に急いだのです。けれども、一つ大きな問題がありました。それは、主イエスの墓に転がされている大きな石のふたを動かさなければならないという問題です。

 ところが墓に行ってみると、自分たちの問題としていた墓の石が転がしてあるのです。ほっとしたかもしれません。普通なら、これで問題解決です。目の前に差し迫った問題はこれでクリアーされたわけです。ところが、墓の中に入ってみると、真っ白な衣をまとった青年が右側に見えます。そして、彼はこう告げたのです。
6節です。

「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを探しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。」

 その知らせは衝撃的な内容でした。確かに墓のふたの石を転がすという差し迫った問題はあったのですが、それが解決したと思ったら、もっと大きな、そしてとてつもない問題がそこで突き付けられたのです。肝心の墓の中にあるべき主イエスの体がないというのです。

 この出来事を読んだ人はここで一気にいろんなことを考えはじめるわけです。なぜ、男の弟子たちの名前が出てこないのだろう。弟子たちは一体何をしていたのだろうということがまず気になります。その次に、この墓にいた青年ですが、天使ではなかったのかと、復活の出来事を知っている人であればそこが気になるかもしれません。そして、最後の8節まで読んでいくと、さらに気が付くのは、よみがえったはずの主イエスの姿がどこにも描かれていないということが気になるのです。そして、さらには、ここを最後まで読むと、8節にこうあります。

彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 マルコはこの大切な復活の場面を描くところで、誰がどのように変えられたかというような信仰の言葉を書かないのです。誰がどう信じたのか、どう受け止めたのかということは、最後の一文章だけを書くのにとどめています。そして、その文章というのは、「恐ろしかったからである」という言葉が書かれているだけなのです。もう少し、気の利いた言葉でまとめてくれてもよさそうなものですが、マルコは起こった出来事だけを淡々と記録しているのです。

 ですから、この福音書を読む人は、その後どうなったのか気になって仕方がありません。おそらくそういうこともあって、後になって、このマルコの福音書には、実に多くの人々がこの後の出来事を書き加えました。それが、9節以降です。けれども、聖書にはそのところはみなカッコ書きになっています。これは、明らかに後の時代に書き足されたことがわかっているので、このようになっているわけです。ですから、この9節以降についてはここで取り扱いません。8節のこの言葉で本来のマルコの福音書は終わっているのです。

 このマルコの福音書の書き方は他の福音書の書き方とはまったく異なっています。復活の主イエスと出会った時にどうであったのか、弟子たちが何を思ったのか、どう行動したのかということは、まるっきり書かれていません。ここには、その日の朝の出来事はこうでしたということが淡々と記録されているだけなのです。そして、だからこそ、このマルコの記録には真実味があるわけです。
 復活というのは、こういうことなのだということを、ここを読むと改めて考えさせられます。当たり前の出来事ではないのです。信じられない出来事です。そして、マルコはここで、3人の女の弟子たちが、逃げて、気が動転していて、誰にも何も言わなかったのだ。その理由は、彼女たちが恐ろしかったからだと書いたのです。それで、終わりです。

 しかも、原文には最後にガルという言葉で終わっています。「なぜなら」という言葉です。「なぜなら」と書きながら、そのまま終わってしまっているのです。 (続きを読む…)

2019 年 7 月 14 日

・説教 マルコの福音書15章33-47節「光を与えたまえ」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 13:46

2019.07.14

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

「さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。」

 今日の聖書はこのところからはじまっています。十二時というのは、お昼の十二時です。太陽が一番高く上るとき、つまり一日の中でもっとも明るい時間、もっとも光に包まれている時間です。その時に、この世界は闇に包まれたのだと聖書は語っています。

 主イエスが十字架にかけられている時、それこそまさにここでこそ神の光が注がれたら、誰もが奇跡が起こったと信じることのできるような時に、神はこの世界の希望に応えるのではなくて、闇に支配されてしまった。そして、その闇が三時まで続いたと記しています。

 光が欲しい、救いが欲しい、神の助けが今あれば、神を信じるのに、と人が思う時があります。しかし、いつもそうですが、神の救いの光は、私たちの望むように簡単に与えられたりしないのです。そこにあるのは、神の沈黙と絶望です。

 私たちが神を必要とするときに、時折そのような思いを抱いてしまうことがあるのだと思うのです。なぜ、神は私の祈りに耳を傾けてくださらないのか。神は死んでしまったのではないのか。そう考えることがどれほど楽だろうかと考える人は多いのです。実際に、教会に足を運びながら、この神の沈黙に耐えられずに、離れていく人は少なくないと感じます。

 そして、驚くことに、そのような神の沈黙を経験し、闇を味わいながらこの聖書に出てくる人物はこう叫んだというのです。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

 34節にそのように記されています。この礼拝に先立って、祈祷会でこの箇所を学んだ時に、何人かの方が、「この主イエスの叫びの言葉が理解できない」と言われました。もっとほかの言葉があるのではないのかと言うのです。あるいは、神に見捨てられると言っても、すぐその後でよみがえるわけだから、すでに分かっていることを大げさすぎるのではないかというのです。

 こういう問いかけはとても大切です。そういうところから、この言葉の持つ意味がより明らかになるからです。私もそう聞きながら、改めて、この主イエスの言葉の持つ意味を考えさせられています。そこで改めて考えさせられるのは、主イエスにとって、神から引き離される、闇に支配されるということがどれほど恐ろしいことなのかということを、私たちはあまり理解できていないのではないかということを改めて考えさせられているわけです。 (続きを読む…)

2019 年 7 月 9 日

子どもと親のプログラム(7月のご案内)


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  • Mama’s cafe
    ...7月16日(火)朝10:00~12:00(今月は第3火曜日です)
    参加費:300円…デザート&飲み物
     
    ノーバディーズパーフェクト(略NP)から生まれたママ達のおしゃべりサロンです。NP卒業したママや、こひつじクラブのママ、ハレルヤちびっこ、サタデージョイのママ達と、そのお友達にご案内しています!
     
    お申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
    または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。
    (お申し込みは13日頃までにお願いします)。
     
    ★託児はありませんが、ママの近くで乳幼児さんプレイスペースがあります!★

 

  • 子どもグッツや日頃の裁縫、素敵な作品なんでも!「マレーネ先生とてしごとの会」
    ...7月10日(毎月第2水曜日)朝9:30~12:00
    ※茶菓代100円

 

  • 未就園(0歳から)のお子さんと親のプログラム「こひつじクラブ」
    ...7月は休会です。(基本は毎月第2火曜日開催)朝10:30~13:00
    ※参加費:親子で200円(茶菓代/材料費)

 

  • 就園児(3歳から)と親のプログラム「ハレルヤちびっこ」
    ...7月13日(毎月第2土曜日)朝10:30~13:00
    ※参加費:親子一組で300円
    前日までに出欠をご連絡ください。

 

  • 【予告】「ピアノで綴るおはなしの世界」 10月28日(月)10:30~
    中部学院大学幼児教育学科教授、ダーリンプル規子先生をお招きします。ダーリンプル先生は、子どもと養育者のコミュニケーションをテーマに、わらべうたなどを用いた講演などを開催しておられます。この講演ではピアニストの方もお招きして、音楽を用いた楽しい時間を計画しています。

 

  • 小学生のためのプログラム「サタデージョイ」
    ...7月13日(毎週土曜日。ただし祝日にあたる場合や、公立校の土曜授業日、夏休み期間中はお休みです。)朝10:00~11:30 参加無料
     
    ★見て、聞いて、さわって、食べて、しゃべって、作って! 楽しいプログラムが待っています!

今年もいっぱい遊んで、聖書を学んでいっしょに心豊かに成長しましょう!
 

  • 牧師館のゲームナイト(旧「芥見JC」、青年学生向き)
    ...7月20日(原則第3土曜日です)夕18:00~ 参加費:200円(軽食付き)
    会場:芥見7丁目にある宣教師館
     
    ★ドイツのボードやカードゲーム

 
お問い合わせ・申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。
 

 
 

子育て支援プログラム「ノーバディズパーフェクト」開催のお知らせ

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  • 2019年 9月6日~10月18日
    午前10:00~12:00
    (全6回、金曜日)
  • 参加費: 無料
    (茶菓代のみ 1回につき200円)
  • 託児あり(子育て経験ママボランティアが、
    生後4ヶ月のお子さんからお預かりします)
  • 定員: 10名(最少4名~)
    ※申込締切 8月末まで
  • 進行: NPジャパン認定ファシリテータ(NPO法人子ども家庭リソースセンター所属)
    山田 茜/鴨下 愛

 
お問い合わせ・申込みは:
Fax: 058-243-5798
または⇒こちらのフォームから送信してください。

申し込み時には下記の事項をお書きください。

  1. 氏名
  2. 住所
  3. 連絡先(携帯番号かメールアドレス)
  4. お子さんの年齢
  5. 託児が必要か
  6. 子育てに関わることで話してみたいこと

 

参考リンク
NPO法人子ども家庭リソースセンター

カナダ保健省公認 NPファシリテーター/NPトレーナー認定機関
Nobody’s Perfect Japan(NP-Japan)

「赤ちゃんと一緒に楽しめるチャペル音楽会」のお知らせ


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2019 年 7 月 7 日

・説教 マルコの福音書15章21-32節「三本の十字架」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 12:27

2019.07.07

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 今日、私たちに与えられている聖書のみ言葉は、主イエスが十字架にかけられるところです。マルコの福音書は、この出来事をできるかぎり淡々と、事柄だけを列記するような仕方で書き記しました。一節ずつ、それぞれ異なる情報を淡々と読む私たちに伝えています。人が、一人十字架につけて殺される。しかも、キリストとしてこの世界に来られたお方の死を描くのに、ドラマ性をほとんど無視して書いていくわけです。そして、だからこそ、この時の出来事が、いっそう真実味を帯びて読む私たちに迫ってくるわけです。

 ローマの著述家のキケロは十字架刑について「最も残酷にして、最も恐るべき刑罰」と言っています。そして、「決してそれをローマ市民の身体に近づけてはならない。決してローマ市民の思い、眼、耳に近づけてはならない」とさえ言っています。見ること、耳にすること、考えるだけでも恐ろしいというほどに、十字架の刑罰は人を躓かせるに十分な残忍な方法であったことがよくわかる記述です。十字架刑というのは、それほど残酷で、最も恐るべき刑罰なのだと言うのです。

 そして、ここにはたまたま通りかかったために、その十字架を主イエスに代わって背負わされることになったクレネ人のシモンのことが記されています。ところが、興味深いのは、このシモンは「アレクサンドロとルフォスの父で」と紹介されています。この二人の名前は、初代の教会の人たちには知られていた名前であったようです。この時に十字架を背負わされたシモンは、その時はひどく腹を立てたでしょう。不当なことをされたと感じ、不名誉なことを命じられたわけですが、結果、やがて主イエスを信じるようになったのでしょう。つまり、その子どもたちは教会の中でよく知られる人物になっていたというのです。

 シモンはまるで自分がその十字架に磔にされるような気持ちをそこで味わいました。もちろん、シモンは十字架にかけられることはありませんでしたが、十字架に磔にされるという意味は、おそらく他の誰よりも明確に感じたに違いないのです。

 もしかすると、当時の読者はこの書き方で自然に、シモンの気持ちになってこの十字架の出来事を読んだのかもしれません。それほど主イエスに興味があったわけではない。むしろ、なかば無理やりに十字架を背負わされて、自分はいったいどんなことをした人の十字架を背負わされることになったのか、そんな少しばかりの興味を抱きながら、これから起こるであろう十字架の出来事を、どこか他人事のような思いで眺めようとしたのかもしれません。

 この時、主イエスをかけた十字架の上には「ユダヤ人の王」という罪状書きが書き記されました。そして、二人の強盗と一緒に十字架にかけられたと書いてあるのです。

 「ユダヤ人の王」。クレネ人のシモンにはさほど意味を持たない言葉です。けれども、ユダヤ人にとってはどうだったか。きっと自分たちが馬鹿にされているような、そんな思いになったかもしれない。そんな想像が頭をよぎったかもしれません。そして、シモンの背負った十字架には「ユダヤ人の王」と掲げられた男が磔にされ、その右と左には「強盗」が磔にされた。起こった出来事としてはそれだけのことです。それが、どれほどの意味があるというのでしょう。

 この礼拝堂の前の聖餐卓の上にいつも小さな三本の十字架のブロンズの置物が置かれています。これは、古知野教会の長老で鉄のクラフト作品を作っておられる加藤さんの作品です。その教会の牧師をしていた時に、加藤長老の家で毎月家庭集会が行われていました。いつも玄関の下駄箱の上に飾られていたこの三本の十字架の作品が、私はとても気に入っていて、行くたびに褒めていたのです。そうしたら、ある時にこの作品をくださったのです。 (続きを読む…)

2019 年 7 月 1 日

今月の礼拝予定(2019年7月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 11:10

7月7日 三位一体後第3主日

主日主題: 十字架
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書15章21-32節
説教:「三本の十字架」鴨下直樹牧師
子ども: 「三本の十字架」河合和世

午後:役員会

7月14日 三位一体後第4主日

主日主題: 光
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書15章33-47節
説教:「光を与えたまえ」鴨下直樹牧師
子ども: 「十字架で死なれたイエスさま」鴨下愛

午後:礼拝準備会・月間予定確認会

7月21日 三位一体後第5主日

主日主題: 復活
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書16章1-8節
説教:「空虚な墓」鴨下直樹牧師
子ども: 「主イエスのよみがえり」鴨下愛

午後:グループディスカッション

7月28日 三位一体後第6主日

主日主題:信仰
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: 詩篇90篇1-12節
説教:「自分の日を変える」秋山長老

午後:愛餐会

2019 年 6 月 16 日

・説教 マルコの福音書15章1-20節「人の裁きと神の裁き」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 20:02

2019.06.16

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 この箇所の中に、私たちが見たいと思うものは何一つありません。主イエスがピラトによる裁判を受け、バラバが解放され、そして、その後主イエスのむち打ちと、主イエスに向けられる兵士たちの嘲笑の姿が示されています。人を愛し、人が神の御心に従って生きるようになることを望まれた主イエスに待ち受けていたのが、この受難のお姿であったのです。

 ここを読むときに唯々、気持ちが重くなり、大きな悲しみと何とも言えない重たい気分が私たちの心を襲うのです。しかし、聖書はこの私たちが見たいと望まないものを私たちにしっかりと見て、受け止めるように要求するのです。そして、その先にしか希望が生まれてくることはないのだということを、私たちに悟らせようとしているのです。

 祭司長たちの裁きの後、夜明けとともに

祭司長たちは、長老たちや律法学者たちと最高法院全体で協議を行ってから、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。

とこの1節は記しています。ピラトが裁判を行うというのに、いったいどんな協議が必要だったというのでしょう。祭司長たち、長老たち、律法学者たちはなぜそこまで執拗に主イエスを貶めたいのでしょう。「ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである」と10節では、伝えています。

 ここで明らかになっている人の罪の姿はねたみだというのです。多くの人にとって、人の自慢話を聞かされることは苦痛です。人によっては人の幸せそうな姿を見ることで、心を痛める人がいます。かえって、人のうまくいっていない話や、苦労話の方が心をひきつけ、共感を生みやすいのです。私たちの心には優しさもありますから、苦労していた人がそこから抜け出すことができた話は心を打つし、それを喜ぶこともできます。それはそうですが、目の前で自分の幸せをことさらにひけらかすことに対しては、寛容ではいられないという部分があるのもまた、事実です。

 祭司長、長老、律法学者といった人たちは、まさにそのような思いで主イエスを見ていたのでしょう。自分には神がついている。自分が語ることが神の心なのだ。確信に満ちた顔で高らかに神の御心を語るイエスの姿に、彼らは我慢の限界を迎えていたのです。果たして誰が、自分が自信を持って語っている事柄について、自分の考えに自信を持っているということに対して、それは違う、本当はこうなのだと人前でその誤りを指摘されることを喜んで受け入れることができるでしょうか。

 主イエスの(ただ)しさが、主イエスの愛が、主イエスの聖さが、自らの痛みとならない人は残念ながらいないのです。ここに、この祭司長たちの姿の中に、私たちは自分自身の姿を見出してしまうのです。 (続きを読む…)

2019 年 6 月 9 日

・説教 マルコの福音書14章43-72節「鶏が鳴く前に」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 22:38

ペンテコステ主日

2019.06.09

鴨下 直樹

 先週の月曜日から水曜日まで静岡の掛川でJEAの総会が行われました。JEAというのは、日本福音同盟の略語です。日本の福音派の教会の代表たちが集まりまして、毎年総会を行っているわけです。私は、今は教団の代表ではないのですが、2023年に行われる東海地区の伝道会議に備えるために、教団では昨年から2名総会に出席することにしていて、私はオブザーバーとして参加をさせていただきました。今年の総会では、昨年全教団に次世代育成の課題をアンケートにして聞いていまして、そのまとめの発表と討論が行われました。

 この「次世代」という言葉の定義がどうもそれぞれの教団で異なるということが、まず確認されました。私たちの教団では五か年計画に「次世代への献身」と掲げています。そこでは60代は50代に、50代は40代にという具合に自分たちの世代の一つ下の世代に奉仕などの責任を引き継いでいきながら、次の世代を育てていこうという取り組みを教団全体でしているわけです。他の教団は子どもや学生、青年への信仰継承、信仰育成といった取り組みのことを意味しているようでした。実は、このアンケートのまとめが2週間前に東京で行われまして、私はそこで3人の発題者の一人として、同盟福音での取り組みについて発言してきました。私たちの教団では、この次世代の育成ということと、そのための環境を作るということで、宣教ネットワーク制を導入して近隣の2~3の教会との協力関係を築いて、伝道できる体力づくりをしようということに取り組んでいます。それで、たとえば、芥見教会で今ちょうどホタルがたくさん飛ぶようになりましたので、今日の夕方に可児教会と合同でバーベキューをしながら、一緒にホタル観賞をしようということを計画しているわけです。

 また、昨年行いましたアンダー50フェローシップキャンプを通して、次世代の方々の交わりの土台をつくると同時に、ドイツのアライアンスミッションの代表であるシェヒ先生を講師にお招きして、宣教のビジョンということを学びました。そこで、シェヒ先生が語られたのは、自分たちで出来ない働きを見ながら、うちではできないというようなことを考えてがっかりするのではなくて、自分たちに与えられている賜物をちゃんと認識して、それらを用いやすい環境をつくっていくことが大切だと語られたわけです。その時に、芥見から参加したKさんの「外食しておいしい物を食べさせるというよりも、冷蔵庫にある残り物でいかにおいしい料理を出せるかということ」という名言まで生まれたわけです。2週間前の時にはそんな取り組みをしていることを話してきました。

 先週の伝道会議で改めてアンケートの内容に注目したのですが、たとえば全体の8割の教会が教会学校などの働きを通して、次世代の信仰育成のための取り組みをしていると答えていました。けれども、ほとんどの教会はそれだけでは信仰の継承ということができないと感じているわけです。以前のように子ども集会を計画すればすぐに子どもたちが集まってくるというような環境ではなくなってきているわけです。総会の夜に行われた分科会でも、それぞれの牧師たちが、自分たちの教会でどんな取り組みをしているのかを分かち合っていたのですけれども、私はその姿を見ながら、ふっと疑問が浮かんできました。どんなにいろいろなアイデアがあって、それを分かち合って共有しても、問題は改善しないという結果が出ているわけです。そうであるとするともっと根本的な問題があるのではないかということに、改めて考えさせられたわけです。それこそ、冷蔵庫に入っているものを無視して、一生懸命外食のレストランの素晴らしさを聞いているようなことになっているのではないかという気がするわけです。

 私たちのディスカッションのグループの中に、東京のミッション系の大学の学長がおりまして、この方が、次世代の働きのカギは「居場所をつくること」という話をしてくださいました。たとえば、今多くの教会で子ども食堂の働きがされています。または、学生たちと一緒にゲームをするとか、いろんな働きがその集まりの中で幾つかの教会によって紹介されていました。芥見でもそういうことをしているわけですが、そういう居場所をつくるだけでは、まだ肝心な信仰ということへの招きにはなりにくいということを味わっているわけです。

 水曜の祈祷会の時に、そんな話をしていましたら、マレーネ先生がそこでこんなことを言われました。「居場所を作るということだけでは足りなくて、主があなたを必要としておられるという居場所を作らないといけないのではないか」と言うのです。私はこの意見に、本当にはっとさせられました。こういう意見は残念ながら総会の中では出てこなかったのですが、ここに本質的な答えがあるのではないかという気がしています。

 前置きがかなり長くなっているのですが、そこで今日の聖書の箇所を考えてみたいわけです。場面は、主イエスの祭司たちによる裁きと、ペテロの否認の出来事がここに書かれています。この直前のところで、弟子たちはみな逃げ去ってしまっています。木曜の祈祷会の時にある方が、弟子たちにも同情を示しまして、弟子だって剣をもって戦おうとしたわけで、それができなかったので、もうできる手立てがなく、立ち向かうことができないという状況の中では、逃げるしかなかったのではないかと言われました。選択肢がない中で、苦肉の選択であったのではないかというわけです。もちろん逃げ去ってしまった事実は変わらないわけですけれども、同情の余地はあるのではないかということです。そういう中で、ペテロだけはまた戻って来まして、裁判の行方を見守ろうとしているわけで、これだって考えてみれば勇敢な行為であったということもできるかもしれません。もっともそんな言い訳が十字架にかけられる主の前で申し開きできないという事実には何ら変わりはないわけですが。

 そういう中で、この後のペテロの3度にわたって、主イエスのことを知らない、この言葉が嘘なら呪われてもいいという否定の言葉が出てくるわけです。ここのところ、毎週のように、弟子の至らなさということが語られ続けているわけです。そこで、立ち止まって最初に話したような視点で考えてみるわけですが、主イエスの弟子たちというのは、まだよくわかってもいない中で、主イエスに招かれて弟子として従って行きます。そうであるとすると、先ほどのマレーネ先生の話に繋がるわけですが、失敗したとしても、主イエスのお働きのために必要とされて、そのための居場所が与えられて、訓練されているのだという姿が見えてくるわけです。

 なんとなく、教会では洗礼を受けていないと奉仕させてはいけないというような感覚があるのですが、ひょっとするとこういうところから変わっていく必要があるのではないかということを、ここから考えさせられるわけです。必要とされていないところで、人は本当の居場所を作ることはできません。これは、若い人だけのことではなくて、お互いみなそうです。主は、私たちすべての人を必要としておられて、こうして御前に招いてくださっています。失敗もする。足りないところもある。けれども、それでも、自分に与えられていることを、精いっぱいやっていくということの中に、教会の生きた姿があるということなのではないでしょうか。誰かが、料理を作って持ってきてくれるのを待っているのではなくて、みなが、お互いに自分を材料として差し出しながら用いられていくということが、私たちには求められているのです。 (続きを読む…)

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