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・説教 「Gift1 もらって嬉しい贈り物!」 ローマ人への手紙8章1-39節

鴨下直樹

 二週間の間休みをいただきまして、今朝久しぶりにみなさんの顔を見ることができ嬉しく思っています。いつもは創世記を順番に説教していますけれども、今日からしばらくの間創世記を離れて説教したいと思っています。今回から三回に分けて、「ギフト」という題のシリーズで主題説教をしてみたいと思っているのです。ですから、今日は創世記ではありませんで、ローマ人への手紙第8章を先ほどお読みしたのです。

 この朝、創世記を離れてギフトというテーマで説教しようと思ったのには一つの理由があります。それは、この夏岡山にあります私たちと姉妹団体になる聖約教団という教会の青年会のキャンプに招かれまして、私たち同盟福音の青年たちとキャンプを一緒に致しました。その時のテーマが「ギフト」というテーマだったのです。そこで三回にわたって私が説教をしました。今回のようなテーマの説教をこの芥見でもやった方がいいのではないかと思いまして、今日から三週間にわたって説教してみたいと思ったのです。 続きを読む ・説教 「Gift1 もらって嬉しい贈り物!」 ローマ人への手紙8章1-39節

・奨励 「聖書のたとえ話と日常生活」 ルカ15章4節ー32節

本日は、芥見キリスト教会員 赤塚尚武兄と山田健兄が奨励をして下さいました。

 

赤塚尚武

 聖書の中にいくつのたとえ話が出てくるでしょうか? 

 それを幾人の画家がいくつの作品に描き、この世に残しているのでしょうか? 

 私が最初に聖書の中のたとえ話を絵画作品で知ったのはレンブラントの「放蕩息子」です。最初は画集で見ました。しかし、その後、私は二度もその作品が常設されているサンクト・ペテルスブルクにあるエルミタージュ美術館で、それを鑑賞する機会に恵まれました。

 それは毎年4月にサンクト・ペテルスブルクにある露日友好協会主催「日本の春」が開催されており、その行事に2001年と2005年に二度招待を受けて合唱団を連れて出かけました。その時にエルミタージュ美術館へ招待されたのです。

 この本はその時に、記念品として協会長のグレゴリー教授から貰った画集です。彼は大の親日家で退職後、京都の鞍馬に、それも竹やぶのあるところに住みたいと語っていました。

 これがそのレンブラントの名作「放蕩息子」です。

 

 さて、ルカ15章4節から32節までに三つの有名なたとえ話がでてきます。

 初めの二つのたとえ話は取税人や罪人とイエス様が交わりをされることに対してパリサイ人や律法学者が侮辱的な言葉を浴びせることに対する主の答えだと思います。迷った一匹の羊と銀貨のたとえは神の捜し求める愛の姿を表しています。

 第三のたとえ話は神の赦しと愛を表し、父によってのみ現わされる深くて温かい恩恵を描かれ、独特な美しさに輝いています。そこには「喜び」が基調となっています。

本日は時間の都合もありますので、三つの例え話の内、最初と最後について、語ってみたいと思っています。 続きを読む ・奨励 「聖書のたとえ話と日常生活」 ルカ15章4節ー32節

・奨励 「ヤベツの祈り」 第一歴代誌 4章10節

「ヤベツの祈り」

山田健

聖書箇所;第一歴代誌 4章10節

⇒ ここをクリックすると音声でお聞きになれます。(mp3: 32kbps/約8.5MB)

  1. 感謝と整えられ 準備され 支えられた証
  2. 聖書箇所 各訳 読み比べと解説
  3. 背景
  4. 歴代誌の位置づけ
  5. 歴代誌の目的
  6. 祈りが聞かれた訳
  7. 体験
  8. 奨励

・奨励 「聖書と食事」聖書における食事の象徴性

本日は、芥見キリスト教会員 下斗米利男兄と舛田忠興兄が奨励をして下さいました。

聖書における食事の象徴性~創世記1章28章ー29章、9章1節ー4節、18章1節ー15節、詩篇128章3節 
 

下斗米利男

私たちは『食事すること』を生きていくために、あるいは生活の一部として、また楽しみとして当然のようにおこなっています。

そして食事はただ何かを食べる栄養補給だけでなく、非常に多面的な意味を持っていると思います。なかでも食事のもつ社会的意味は大変重要で社会化の根本的要素の一つあると思います。私たちが食べ物を口にするまでには多くの工程があり労苦が伴います。まず食材の手当てから始まって複雑な手順で料理をして、綺麗に盛り付けてようやく口に入ります。

そしてテーブルマナーがあり、食事をしながら話し合うことも重要な要素で特に家庭での食事は最も大切な空間を形成していると思います。また友人や職場での食事は『同じ釜の飯を食う』という表現で親密な関係をかもし出す役割を持ちます。そして食事の前と終わりには食前の祈り、食後の祈り(いただきます。ごちそうさま)があり聖なるものとして感謝して食事をしています。そこで聖書における食事の象徴性について考えて見ました。 続きを読む ・奨励 「聖書と食事」聖書における食事の象徴性

・奨励 「信仰とくらし」 マタイ6章33節

 

舛田忠興

私は今日、証しと聖書の学びについてお話したいと思います。 

証し

 私は昨年3月、定年1年前に小学校教諭を退職したが、9月にまた現場に復帰した。ある学年の学級担任が重い病となり即入院したからである。

とりあえず10月まで1ヶ月間副担任として勤めた。朝9時から午後3時半までの勤務だったので、責任も軽く気が楽だった。しかし、前担任がその後も回復できず、10月からは補助教諭という身分で学級担任として働くことになってしまい、気が重かった。

そのわけは集団生活が苦手なA君の存在と、A君とトラブルを起こす男の子の存在である。

A君は、学習面や情緒面で障碍がある。コミュニケーションがうまくできない、ルールが守れない、整理がうまくできない、授業中座っておれないなどの面があり、他の児童とのトラブルが絶えない。男子21人中8名前後は、A君のまねをしてルールを守らない、言い争いから殴り合う、自分勝手な言動で周りの子に迷惑をかけても平気で毎日のようにトラブルを起こす。

 

10月からA君が起こすトラブル、A君との関わりで起こるけんか、男同士のけんかに適切に対応しようと努力するが、なかなかうまくいかず、学級担任の仕事をやめようと思うことがあったが、3月まで勤めることができたのは主に支えていただいたおかげである。 続きを読む ・奨励 「信仰とくらし」 マタイ6章33節

・説教 「歴史の中で働かれる神」 創世記10章1-32

鴨下直樹

 今、水曜日と木曜日の祈祷会の時に、信徒の方々が聖書の話をしてくださっております。これまでの夏の間は、教会でそのようにしてきた伝統があるようで、私自身参加して大変よい機会だと喜んでおります。普段みなさんがどのように御言葉に向かい合っているかを知る機会ですし、また、そこからの問題提起に、みなさんがどのように答えるかということも大変興味深く聞かせていただいております。

 この木曜の祈祷会の話題に上ったことですけれども、聖書をどう読むかということは基本的なことですけれども、実にさまざまな意見を聞くことができて大変楽しませていただきました。そのきっかけとなりました一つは、芥見ネットという私たちの教会が毎朝登録している方々に、御言葉を携帯やパソコンにメールで届けるということをしておりまして、先週の御言葉がきっかけになりました。

 そのメールにはこうありました。

 

「思わぬときに、滅びが彼を襲いますように。ひそかに張ったおのれの網が彼を捕え、滅びの中に彼が落ち込みますように。」詩篇35章8節

 

☆あなたの敵を愛しなさい。(ルカ6章27節)とは一見、ずいぶん矛盾するように思いますが… 皆さん、どう考えますか? 続きを読む ・説教 「歴史の中で働かれる神」 創世記10章1-32

・説教 「神の前に」 第一サムエル記14章36-42節 

本日は、芥見キリスト教会員 森岡泰子姉が礼拝説教をして下さいました。

 

第一サムエル記13章では、ヨナタンがペリシテ人の守備隊長を打った事によって戦端が開き、ペリシテ人が多くの戦力を動員して上ってきた。一方のイスラエルには3千人が集まったがペリシテ側の光景を見て怖じ気づいてしまい、隊から外れて逃げ出す様子などが記されている。そして、サウル王はその状況に不安と焦りを募らせ、神への信頼を失う。祭司サムエルからギルガルで7日間待つようにと言われたその約束の日、あと少しの時間を待つ事ができず、本来祭司がささげるべき全焼のいけにえをささげてしまった。その直後にサムエルが到着し、「あなたは、なんという事をしたのか」と叱責されたが、その意味もわからず、ただ苦しい言い訳をするサウル王だった。

 

「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。 今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」(13章13節~14節)

 

と、神の御心と、この後のご自身の計画を祭司サムエルの口を通して宣告されたのである。

イスラエル軍は,その人数の面でも武器の面でも甚だしく劣っていた。3千人いた民もついには6百人に減ってしまい、今はヨナタンもサウルと合流してイスラエルの民はギルガルからミクマスの近くのゲバに留まった。そして一方のペリシテ人はミクマスに陣を敷いた。

ある日、らちの明かない戦況下、再びヨナタンが動き出した。ここから14章が始まっていく。 続きを読む ・説教 「神の前に」 第一サムエル記14章36-42節 

・説教 「ノアの箱舟5 平和に潜む罠」 創世記9章20-29 

鴨下直樹

 いよいよ、今回でノアの物語は最後になります。 これまでノアの生涯をみてまいりましたけれども、本当にノアは神と共に歩んだということが分かる素晴らしい生涯でした。けれども、今日の個所は少し違います。この最後のところでノアの失態が物語られているのです。

 私は聖書を読みながら時々思うのですけれども、聖書の中に現れる信仰者の姿というのは、いつも完璧ではないなと思うのです。信仰の父と呼ばれたアブラハムにしても、旧約聖書の代表とされるモーセも、あるいはあのダビデ王ですらそうです。誰もがどこかで過ちを犯しています。聖書はそのような事柄を隠そうとはしていません。ここでも同じです。ノアは、神の目にかなうただ一人の正しい人物であったはずです。ところが、聖書はそのような正しい人ノアの失態を描くのに何の躊躇もないのです。

 このことは、本当に厳しい問いを私たちに突きつけていると言わなければなりません。

どんなに立派な人物であったとしても、自分は大丈夫だとは言えないということだからです。

 ノアのような信仰の模範とすべき人物であったとしても、気を許してしまうならば、人はたちどころに罪を犯してしまうのです。どれほど長生きしたとしても、どれほど長い間主と共に歩み続けたとしてもです。つまり、罪ということには定年制というものがないということです。罪は年齢に関わらず、あるいは経験に関わらず、いつでも気を引き締め続けていなければならない事柄なのです。もうここまできたから大丈夫、信仰の歩みを長く続けてきたから大丈夫とは言えないということを、私たちは心に刻みつけておかなければなりません。そういう意味で言えば、神はこのノアに有終の美というものをお与えにはならなかったのです。

 

 しかしながら今日の聖書を読むと、私たちはノアに同情することはできます。長い生涯の歩みがありました。ノアは家族とともに箱舟を作るという大仕事をやってのけ、自分の家族だけが大洪水の中から救い出されたのです。ノアの一生は九百五十年であったと最後に書かれています。そして、洪水の後も三百五十年生きたのです。その時のことです。長い間生きてきて、その晩年にノアは今や一人の農夫として土に向かい、これを耕し、収穫の喜びを得ることができるようになりました。晩年の本当にささやかな喜びだったと言ってもいいと思います。ところが、そうして得たぶどう酒がノアを失態へとうながしてしまったのです。 続きを読む ・説教 「ノアの箱舟5 平和に潜む罠」 創世記9章20-29 

・説教 「ノアの箱舟4 虹の契約」 創世記8章20-9章19節

鴨下 直樹

 今日、私たちの教会では新会堂三周年記念行事の第二弾として、子どもフェスティバルをいたします。そのために学校に挨拶に行って校門の前でトラクトを配り、幼稚園にポスターやチラシを置かせてもらい、またみなさんも大勢の家族や友人を誘ってくださったと思います。誰もが今日は天気になるように祈って来ました。それこそ、今日の聖書のように雨があがって虹を仰ぎ見ながら、子どもたちと一緒に時間を過ごしたいと願ってきたのです。

 ところが、昨日から天気が悪くなってきまして、今日は天気が良くならないのではないかと多くの方が心配してくださって、昨日は何人かから電話をいただきました。それほどに祈って備えてきた集会ですから、本当に子どもたちや、その親の方々に教会の事をもっとよく知っていただきたい、伝道していきたいと願わされているのです。

 

 この新会堂記念行事と言いますのは、この芥見教会の礼拝堂が新しく献堂して三周年がたったことを記念して行われます。そのために私たち芥見教会が一年をかけて様々な形でこの地域の方々に教会のことを伝え、伝道していきたいと願わされているのです。考えてみますと、新しい建物が建つというのは本当に特別なことです。私たちはこの新しい建物を与えられて本当に喜んでいます。新しいということは、何かこれからこれまでとは違ったことができるのではないかという希望を持っていますし、期待を込めることができるわけで、様々なことに教会として取り組んでいきたいと願わされているのです。

 

 そのように何かを新しく始めると言う時、私たちは新鮮な思いになります。新しい職場に行く、新しい車を買う、そのような時はもちろんですけれども、新しいノートを使う時でさえ不思議な緊張感と楽しさがあります。そこには様々な期待があるのです。 今日の聖書の個所も同じです。罪の世界を神は一度洪水によって滅ぼしてしまわれて、ここから新しいことが始まろうとしているのです。 私たちでも、新しいことを始める時にはこれほどの期待を込めているのですから、神がご自身が作られたこの世界をもう一度新しく始めようと言う時には、その神の思いはどれほどだったかと思うのです。

 

 

 今日の聖書の個所は少し長いところですけれども、四度、神が語りかけるところが記されています。そしてその四度とも、神が一方的に語っておられるのであって、人は一言も発してはおりません。言ってみれば、ここで神がうれしくって思わず饒舌になっておられるのです。新しい世界を神は大変お喜びになって、思わず言葉がついてでてしまっているかのようです。人は気分の良い時にはおしゃべりになると言いますが、まさに神もそのように少しおしゃべりになっておられたのかもしれません。それほどに神の喜びは大きかったということなのでしょう。あるいは、神がこの新しく始まった世界にそれほどの期待をかけておられたということなのかもしれません。 続きを読む ・説教 「ノアの箱舟4 虹の契約」 創世記8章20-9章19節

・説教 「ノアの箱舟3 大洪水の中で」 創世記7章16-8章19節 

鴨下直樹

「船」という漢字があります。「舟」というへんに「八」と「口」という字を書きます。こういう話はドイツ人などは大好きで、この漢字はノアの箱舟に由来すると言われていると説明しますと、目を輝かせて喜びます。舟にノアの家族八人がみんな入った。その入り口から家族が入ると、神が戸口を閉じられたのです。この漢字の説明はみなさんも色々なところで耳にされたことがあるだろうと思います。では、「舟」というへんに「万」という字と、「口」を書くとどう読むかご存じでしょうか?  続きを読む ・説教 「ノアの箱舟3 大洪水の中で」 創世記7章16-8章19節