・説教 ローマ人への手紙4章1-8節「アブラハムの場合」
2021.09.12
鴨下直樹
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今日からローマ人への手紙の第4章に入ります。パウロは3章までのところで、「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる」という24節で語られている信仰によって義と認められるのだということを語ってきました。
一生懸命良い行いをして、徳を積んで、救いに至るという考え方が一般的です。しかし、パウロがここで語っているのは、主イエスを信じるということで、その人がどれほど罪があったとしても、神の救いの中に招かれて、この人は義である、救われているのだと神は宣言してくださるというのです。
そして、この4章に入ります。ここでは、この福音の知らせを、ユダヤ人たちにとって父とも呼べるアブラハムを例に考えてみようというわけです。聖書が、この場合は旧約聖書ですが、そこでなんと言っているか見てみようというわけです。
それでは、肉による私たちの父祖アブラハムは何を見出した、と言えるのでしょうか。
という1節の言葉からはじまります。
パウロは「アブララハムは何を見出したのか」と語り始めます。この「見出した」という言葉は「得たところ」という意味です。アブラハムは何を得ることができたのというのかと語り始めます。
このことばは、この4章を理解する手掛かりになる言葉ですので、ぜひ、心に留め続けていただきたいと思います。
今日の3節ではアブラハムの生涯が記されている創世記15章6節のみ言葉が引用されています。
私たちは昨年まで創世記から御言葉を聞き続けて来ました。その時に、アブラハムの生涯についても、丁寧に御言葉を聞き続けてきました。
この創世記の15章に何が書かれているかというと、主がアブラハムを夜空の下に連れ出して、夜空に見える無数の星を見せられながら、あなたの子孫はこの星の数のようになるという約束を語られたところです。その時に、聖書はこう書いています。
アブラハムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた
創世記15章6節です。
このときのことをパウロはここで引用しているわけです。
アブラハムにはその前から子孫の約束が与えられていました。けれども、子どもが与えられていませんでした。この創世記15章でも、アブラハムにはもう跡取りがないので、自分のしもべに財産をあたえるのかと、主に文句を言ったのです。そのあとで、主がアブラハムにもう一度この約束をお語りになったのです。
この主が語られる約束を信じる。そのことで、アブラハムは義と認められたのだと、創世記に記されているのです。 (続きを読む…)