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・説教 「ノアの箱舟2 戸が閉ざされる前に」 創世記7章1-16節

鴨下 直樹

 梅雨を迎えています。毎日毎日雨が続くと本当にいやな気持になります。私の父がかつて小さな本を書きました。「ジュニアのはこぶね」というタイトルの本です。自分が中学生の頃、雨が降って体育の授業ができなかった時に、先生が「今日はお話をしてあげます」とノアの箱舟の話をしたのだそうです。その経験がこの本のタイトルになったというわけです。若い時に聞いたノアの箱舟の話は、後になって信仰をもつようになり、聖書の物語だと知るようになって、その先生はクリスチャンであったかと気がついたようです。若い時、それも梅雨の時期に、ノアの箱舟の話を聞いた。それは父にとって衝撃的な話だったのでしょう。だから覚えていたのだろうと思うのです。

 

 このノアの箱舟の話は、教会に長い間来ている人にとっては、懐かしい聖書物語の一つかもしれません。けれども、ここに書かれている内容は壮絶です。雨が降って、降って降り続いて、人々がすべて死に絶えてしまうまで降り続いたという話です。呑気に聞いていることなどできない話です。 続きを読む ・説教 「ノアの箱舟2 戸が閉ざされる前に」 創世記7章1-16節

・説教 「ノアの箱舟1 神との契約」 創世記6章1-22節

鴨下直樹

 この朝の説教の題を「ノアの箱舟1 神との契約」としました。今日は1ということですから、続きがあるということです。礼拝の予定表に4まで書いてあることは、すでにみなさんお気づきのことと思います。説教の題をその1とか、その2というふうにやるのはあまり綺麗な題とは言えないかもしれません。

 先月の終わりになりますけれども、御代田で私たちの団体の牧師たちの研修会が行われました。夜の学びの時間が終わりまして、近くにいた先生たちと集まって色々な話をしました。そのなかで説教題をどうつけるかという話になりました。芥見教会の前任の後藤喜良牧師は、あまり題を考えないで、昔、ヨブ記を説教したときは4年かけて説教したので「ヨブの信仰 その170」というふうになったと言っておられました。東海教会の小林先生は、やはりよく題を考えるのだそうで、「今日の説教はどんなことを話すのだろう」と思うような題を心がけているとのことでした。私も以前はずいぶんと説教の題に凝ったこともありますが、残念ながら一か月前に、一月分の説教題を決めなければなりませんので、今はあまり考える時間がありません。それで、今回は前任の後藤先生にならってみたというわけです。

 

 そういうわけで、このノアの箱舟の物語を四回に分けて説教しようと決めたわけですけれども、これには随分と悩みました。もちろん、もっと細かく丁寧に学ぶことができるからです。とくに、今日の個所は1節から8節で一度話が切れています。切れているというよりも、内容が大きく変わるのです。ですから、従来の分け方でいえば、ここは二度に分けて語るのが相応しいと思いますけれども、今日はこの1節から8節と9節以下とを一緒に読み進めて行きたいと思っています。

 

 今、私はこの6章の1-8節は、続く9節からとは内容が大きく異なると言いました。最近ではこの創世記は、4つの異なる資料から今の形に編集されているとほとんどの学者たちは考えています。そして、このところは、学者たちが言うにはそれぞれ資料が異なるというのです。それはそうなのですけれども、良く読んでみますと、そうであってもこの最初の部分というのはノアの箱舟の物語の序章といいますか、そのための導入のような役割を果たしていることは事実ですから、今日は、一緒にここから御言葉を聞いていこうと思っているのです。

 それで、この最初の部分に書かれている事はどういうことかと言いますと、「人間の罪はますます増大した」ということです。1-4節のところに、二つの不思議なことがいくつか書かれています。 続きを読む ・説教 「ノアの箱舟1 神との契約」 創世記6章1-22節

・説教 「神と共に歩む人生」 創世記5章1-32節

鴨下直樹

 今日の聖書は、創世記第五章に入りました。ここには系図が記されています。アダムの系図です。お聞きになってお気づきのように、この系図は一般的なものとずいぶん異なります。何が大きく異なるかと言いますと、誰もが非常に長生きであるということです。もっとも長く生きた者は、969歳まで生きているというのですから、ちょっと想像しづらいものがあります。 

 昨日、教会でいつも持っております「ぶどうの木」という俳句の会がありました。いつもこの会に出席させていただいて、非常に多くの刺激をうけています。

 昨日の句会で特選を取った俳句にこういうものがありました。

 白地着て男盛りを思ひをり

 「ぶどうの木」の句会を教会員の宮崎さん、古川昭子さんなどが指導してくださっていますが、ほかに名古屋の中京教会の江崎さん、和子さんご夫妻も同人を務めてくださっておりまして、この江崎さん、江崎先生と言ったほうがいいかもしれませんけれども、この方の句です。江崎先生は七十でしょうかもう八十になるのでしょうか。この方が、熱い夏が来ると、いつものように白地を着る。けれども、昔の体とは何か変わってきてしまったなぁと、昔を思い出している句なのでしょう。けれども、ここにはどこかしらユーモアがあります。「男盛りを思いをり」というところに、この句の味があるのだろうと思うのです。

 以前、私は江崎先生にお尋ねしたことがあります。「江崎先生の句は、いつも何かユーモアがありますね」と尋ねますと、「私ほどの年になると、いつも死を見据えているのだ」という返事が返ってきました。死と向かい合いながら、このようにそれをどこかで、楽しみながら年を迎えている言葉に出会いますと、私などはハッとさせられます。

 先ほど、創世記に先立ちまして、詩篇の39篇を読みました。4節-7節にこうありました。新共同訳でお読みします。

 「教えてください、主よ、わたしの行く末を。わたしの生涯はどれほどのものか。いかにわたしがはかないものか、悟るように。」

ご覧ください、与えられたこの生涯は僅か手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでもすべて空しいもの。ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし、だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。

 神の御前に出るときに、人の人生などほんとうに短いものです。このように人生のはかなさを歌ったものは、聖書の中にいくつでも見つけることができます。 続きを読む ・説教 「神と共に歩む人生」 創世記5章1-32節

・説教 「カインの末裔とセツの子孫」 創世記4章17-26節

鴨下直樹

今、芥見の礼拝において創世記の御言葉を聞き続けています。この創世記は、神がこの世界をお造りになったことと、その後、人々がどのように神と歩んだのか、いや、どうして神と共に歩むことができなくなったのかが丁寧に語られています。人間は、神のように生きたいと願った結果、神から離れて生きることを選び取ってしまったこと。そして、前回のところでは、アダムとエバの二人の息子カインが、弟アベルと共に生きることを拒み殺してしまうことを通して、一緒に生きていく者を失ってしまったことが語られていました。つまり、神から離れ、隣人を失ってしまいます。こうして人間は孤独な存在となったところまでが、前回のところでした。

今日の聖書の個所は、読んでみますと、それほど重要なことが語られていないように、一見、見えます。そして、実際に、私のところにある様々な創世記に関する書物も、このところは飛ばしてしまっているものが多いのです。けれども、良く読んでみますと、この物語は私たちがすーっと通り過ぎてしまうことはできないほどの、大切なことが語られていることに気がつくのです。

 

 今日のところは、この孤独になってしまったカインがどのようになっていくかが、語られているところです。簡単に言いますと、カインの子孫、カインの末裔の事が語られています。けれども、少しそこで立ち止まって考えてみますと、少しおかしいということになります。何がおかしいのかと言いますと、アダムとエバには二人の息子しかいなかったはずなのに、どうしてひとりぼっちになったカインが結婚できたのか?ということが気になるのです。 続きを読む ・説教 「カインの末裔とセツの子孫」 創世記4章17-26節

・説教 「エデンの東から帰る道」 創世記4章1-16節

鴨下直樹

  先週、私たちの教会の新会堂三周年を記念して、ドイツ教会音楽と聖書という題で、ドイツの賛美の話、主に、宗教改革者ルターのコラールの話しをいたしました。今週も礼拝の後で、岐阜県美術館の館長であり、私たちの教会の教会員でもある古川秀昭さんが、新しい会堂が出来た時から初めておられる「キリスト教美術講座」が行われます。今回のテーマは、フラ・アンジェリコの受胎告知をテーマに選ばれたようです。

 以前も一度礼拝の説教において、この絵について触れたことがあります。おそらく午後、古川さんが丁寧にお話しくださると思いますけれども、このアンジェリコは何枚も受胎告知の絵を描いております。受胎告知といいますのは、処女マリヤが御使いガブリエルから、神の御子を宿すということを告知されます。この場面を描いたものです。この受胎告知のテーマの絵に、アンジェリコは楽園追放という出来事を背景に描いているものが何枚もあります。マリヤが御使いのお告げを受けている背後で、アダムとエバがエデンの園から追い出されてしまう。この神の園から追い出された人間の悲しみが、主イエス・キリストの降誕によって回復されることを描きだそうとしたのです。

 今日、私たちに与えられている聖書は、この楽園を追い出されたアダムとエバの子孫がどのようになったのかを描き出しているところです。神の支配する世界から追い出されてしまった人間が、神なしで世界を造る。その最初の出来事としてこの創世記第四章がおかれているのです。そして、このときから、御使いがマリヤに救い主を与えると宣言されたその時に至るまでの、人の悲しみの源が、ここに描かれているといってもいいのです。

 

 アダムとエバの新しい生活がはじまります。新しい生活という言葉を聞きますと、誰もが、何か楽しげで、これから何が起こるかというような期待を思い浮かべますけれども、果たして、アダムと、エバにとってはどうだったのでしょうか。 続きを読む ・説教 「エデンの東から帰る道」 創世記4章1-16節

・説教 詩篇46篇  特別礼拝 ドイツ教会音楽と聖書 「ルターとドイツ・コラール」

伝道特別礼拝 鴨下直樹

  今年、この芥見キリスト教会は、ここに新しい礼拝堂を献堂して三年を迎えます。それで、今年は、新会堂三周年記念ということで、様々な行事を計画しています。その最初が、今回の特別礼拝と、午後に行われるコンサートです。多くの方々がこれを大変楽しみにしていてくださいまして、コンサートのための問い合わせの電話も、毎日来ています。

 今日は「ドイツ教会音楽と聖書」というテーマで、この礼拝でお話をしたいと思っておりまして、午後は犬山の国際交流合唱団をお迎えして、ドイツコラール・コンサートの演奏会をしていただくことにしております。そこでも、曲と曲の間に、私がこの「ドイツ教会音楽と聖書」というテーマで少しお話しをさせていただきたいと思っています。

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