・説教 ローマ人への手紙8章1-11節「御霊に従って生きる」
2021.12.12
鴨下直樹
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いよいよ、ローマ人への手紙の8章に入りました。このローマ書の8章というのは、ローマ書の中心と言ってもいいところです。あるいは、新約聖書の中心と言ってもいいかもしれません。それほど、この部分には大切なことが、福音の中心的なことが語られています。
パウロはこの前の7章で「律法とは何か」について語りました。そして、この8章では「キリストのもたらした救いとは何か」あるいは「御霊の働き」と言ってもいいかもしれませんが、主が私たちに与えてくださった救いとは、聖霊が与えられることなのだということが語られています。
特に、今日はまず、ここで語られている「肉と霊」ということをお話ししたいと思います。この前のところでは、この「肉」と「霊」のことを「神の律法」と「罪の律法」とパウロは説明しています。
パウロはここで「肉」のことを「罪」とか「死」とか「悪」と言い換えています。そこでは、神の思いに逆らわせるもののことを「肉」という言葉で表現していました。その時に、私はこの「肉」のことを「自我」とか「欲望」のことと理解してくれていいという説明をしました。
その時に、少し言葉が足りなかったなという思いがあります。「自我」とか「欲望」というのは罪なのだろうか?という疑問が浮かんでくるからです。例えば、「欲望」の中には、色々な欲望があります。「食欲」「物欲」「性欲」「名誉欲」、色々上げることができると思います。それらのものは、「良い」とか「悪い」という判断はなかなかつきません。だから、「肉」イコール「欲」という言い方は成立しないのです。
ただ、もう一度改めて理解していただきたいのは、パウロはここで「神の思いに逆らわせるもの」つまり「霊」に反するもののことを「肉」と呼んでいるということです。自我も、欲望も、罪も、悪もすべてそうですが、神の霊に敵対させるものを、パウロはここで「肉」と言っているのです。
パウロはここで肉について色々な言い方で語っています。
6節「肉の思いは死です」
7節「肉の思いは神に敵対する」
8節「肉のうちにある者は神を喜ばせることができません」
私たちはこの罪の支配の中に置かれている、死に飲み込まれている。肉という私たちの力では抗いきれない根深い、神に逆らってしまうものがあるということを、パウロはここで念を押すように語っているのです。
ただ、パウロがここで強調したいのは、この「肉」の手ごわさではないのです。
この8章1節でパウロはこう言っています。
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
パウロはここから、キリストのしてくださった力強い御業を高らかに語り始めるのです。「今や、キリスト・イエスにある者が罪に支配されることは決してない」のだと断言するのです。それはなぜか。
2節
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
「肉」がどれほど手ごわい存在であったとしても、「死」がどれほど私たちを不安に陥れたとしても、「罪」がどれほど私たちの奥深くにまで書き記されていたとしても、もはやそれらは決して意味を持たないのだというのです。
なぜなら、聖霊が、イエス・キリストにあるいのちの律法が、私たちの中の、罪の律法を書き換えたからだというのです。 (続きを読む…)