・説教 ルカの福音書1章26-56節「あわれみ深い主への賛歌」
2021.12.19
鴨下直樹
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「クリスマスおめでとうございます!」
私たちは、クリスマスに「クリスマスおめでとうございます」と挨拶を交わします。しかし、実のところ、クリスマスの何がめでたいのか? 何のことでおめでとうと言うのか、人にとって様々な受け止め方があるように思います。
マリアに天使が現れ「おめでとう、恵まれた方!」とみ告げを受けた時、マリアは意味が良く分からなかったはずです。許嫁のヨセフ以外の人の子どもを身ごもっているというのが、その知らせの中身だったからです。
普通であればこの後に待ち構えているのは、ドロドロの展開と相場は決まっています。
宗教改革者ルターはかつて「福音は奇跡というよりむしろ驚きである」と言いました。私は、このクリスマスにこの言葉の意味を深く心にとめたいと思うのです。
私たちは、福音と聞くと、私たちの身に奇跡が起こることを期待します。クリスマスの福音は処女が身ごもったこと。この奇跡の中に福音があると考えてしまいがちなのです。けれども、マリアにもたらされた「おめでとう」の知らせの中身は、「奇跡」というよりも、むしろ「驚きの知らせ」だったのです。
起こりえないことが、起こる。これが、マリアに告げられた知らせでした。
私たちプロテスタント教会は、主イエスの母、マリアについてそれほど詳しく知りません。しかし、中世以降、主イエスの母マリアには七つの喜びがあったと言われるようになりました。
その七つとは、次の七つです。
「告知」「訪問」「誕生」そして「公現」。このはじめの四つはクリスマスにかかわることです。
「告知」というのは「み使いがマリアに主イエスを宿すことになると告げた」ということです。「訪問」は、「マリアがその後、エリサベツを訪問したこと」です。そして、主イエスの「誕生」の後、東の国の博士の訪問を受けます。これを「公現」と言います。
残りの3つは、主イエスが12歳になった時に家族で「神殿を訪問」した時の喜び。そして、「復活」主イエスが十字架の死の後によみがえったこと。そして、「マリアの被昇天」が最後に数えられています。この最後のものは、カトリック特有の考え方で、マリアが死を味わうことなく天に引き上げられたという伝説にもとづくものです。
そして、今日は、マリアの七つの喜びの中でも特にこのマリアの生涯に与えられた最初の「告知」の何が喜びだったのかということを、もう一度考えてみたいと思います。
今日は、ルカの福音書の特に第1章46節以下の「マリアの賛歌」、「マグニフィカート」と呼ばれるマリアの歌の内容に心をとめようとしています。
み使いの告知を受けて不安の中にあったマリアは、親類のエリサベツを訪問します。エリサベツもまた、子どもができないまま、高齢になっていたのに、子どもが与えられたのです。それも、マリアと同じようにみ使いに告知を受けた後の出来事でした。
この訪問で、マリアはエリサベツを通して神に不可能はないことを確信します。エリサベツはマリアにこう言ったのです。45節です。
主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。
この言葉に励まされ、マリアは主をほめたたえます。それが、46節以下の「マリアの賛歌」です。
私のたましいは主をあがめ、
私の霊は私の救い主である神をほめたたえます。
この卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ご覧ください。今から後、どの時代の人々も
私を幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、
私に大きなことをしてくださったからです。
46節から49節の途中までをお読みしました。
すばらしい賛美です。ここでマリアは何を言おうとしていたのでしょう。マリアの不安はどのように克服されたのでしょうか。
それが、その後の続きのことばで語られています。
その御名は聖なるもの、
主のあわれみは、代々にわたって
主を恐れる者に及びます。
まだ続きますが、ここでマリアは「主のあわれみ」を語っているのです。 (続きを読む…)