・説教 ヨハネの福音書6章37節「喜んで迎えるお方」
2022.01.02
鴨下直樹
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2022年 ローズンゲンによる年間聖句
「わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出したりはしません」- ヨハネの福音書6章37節
今年、私たちに与えられている年間聖句はこのみ言葉です。
わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出したりはしません
これは、ヨハネの福音書で主イエスが語られた最初の説教の中心的な部分の言葉です。ここで、主イエスが語られたのは「わたしはいのちのパンです」と語られました。この主イエスの自己啓示のメッセージとして、「わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出したりしません」と語られたのです。
新改訳2017では「追い出したりはしません」となっていますが、以前の新改訳では「決して捨てません」と訳されていました。この「捨てない」という言葉は、この6章のはじめに、5つのパンと2匹の魚で大勢の人のお腹がいっぱいになった出来事と結びついています。その時に残ったパンのことを、主は「一つも無駄にならないように」と言われました。6章12節です。ここも、以前の翻訳では「一つも無駄に捨てないように」と訳されていて、同じ言葉だということが分かるようになっていました。今回の2017年度版ではそのことが分かりにくいのですが、実はこの2つの言葉は深く結びついています。
主イエスは、先の奇跡を行われたときに、5000人の人々のおなかを満たされました。その時に余ったパン切れを「一つも無駄に捨てないように」と戒めておられるのです。もう役割を終え、お腹が満たされれば見向きもされなくなってしまうパンに対して、主はその余ったパンは大事なものだと言っておられるのです。そして、今日のところでは、主イエスのところに来た者を、もう価値がないから捨ててしまうということはないというメッセージとして語られているのです。
私たちの主は「追い返さないお方」なのです。「余っている」「余分である」「今必要ない」とは思わないお方です。目先のことだけを考えて、私たちを受け入れてくださったのではないのです。それはつまり、「いつも受け入れてくださるお方」ということです。
私たちが生かされているこの世界は、どんどん切り捨てていく世界です。いらなくなったもの、無駄なものは捨てて身軽になっていこうという世界です。そういう世界は、エリートだけが必要とされる、価値あるものだけが認められる、弱者に厳しい社会です。
しかし、主はそうではないのです。主の前に「余ったもの」は存在しません。それはパンも人も同じ。主はそのすべての「もの」を、父から与えられたものとして受け入れてくださるお方なのです。
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