・説教 ルカの福音書8章22-25節「大嵐の最中、その時主イエスは!」
2023.9.3
鴨下直樹
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二週間の夏休みを頂きまして、今日三週間ぶりにみなさんと礼拝を捧げることができることを嬉しく思います。私たちの教団は御代田に宿泊施設があり、牧師や宣教師たちが、この施設で夏休みを過ごします。いつも本当に感謝なことですけれども、二回の日曜を挟んで休暇をいただいて、そこでゆっくりした時間を過ごすことができます。
その間は、本当に仕事を一切持っていきません。ですから、睡眠時間をいつもよりも相当長く取ることができます。ただ、どうしても普段習慣づいてしまっているので、いつも決まった時間に目が覚めますが、休みの間は、もう一度そこから一眠りすることができて、本当にゆっくりすることができました。
この夏休みの時に、一回は下仁田教会の礼拝に行き、そこで説教をしました。もう一回は、日本基督教団の軽井沢教会の礼拝に行きました。その日の説教は、安息日の話で、「安息日というのは、自分の人生を中断することである。その間は自分のいのちを神様に委ねるわけで、そのことを通して、自分の人生を自分で支配しているのではないことを覚えるのだ」という話をされました。
私たちは、自分の人生を自分で支配している気持ちになっているわけです。けれども、その自分の人生を一時中断しなければならない。それは死んだ状態になるということで、その時は神様に自分の人生を任せることになるわけです。復活の信仰というのは、そこにあるのだというのです。
私たちの教会では、この夏も信徒交流会が行われ、先週無事に終わりました。久しぶりに行われたこともあって、とても新鮮な時となりました。信徒の方々が順に証しをしてくださいました。その中で何度も出てきた話は、自分が通された困難な状況の中にあって、今も主イエスが生きて働いておられたことを経験した証しです。
私たちは誰もが、人生の歩みの中で様々な試練を経験することがあります。その時に、不安を感じたり、恐れの感情に支配されたりすることがあると思います。私たちはそのような人生の試練の中で、それとどう向き合うのか。まさに、自分自身の信仰が試されているような思いになることがあるのです。
今日の聖書箇所は、そのような経験をした時の出来事が記されています。 (続きを読む…)