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・説教 「神が来られる」 マタイの福音書3章1節-12節

鴨下直樹

 今、私たちは礼拝で、マタイの福音書から順に御言葉を聞き続けています。それは言ってみれば、主イエスの歩みを順に追っていくということです。そうすると、どの福音書も、主イエスの生涯、これを<公生涯>と言いますけれども、公の主イエスの歩みを記す前に、バプテスマのヨハネ、あるいは洗礼者ヨハネと言われた人物から書き始めます。主イエスの生涯が始まる前にその道備えをした人があったとどの福音書にも書き記しているのです。それは、他の福音書を読み比べて頂いてもすぐに分かります。この洗礼者ヨハネは、少し変わった人物であると言わなければなりません。彼がいるのは、街の中ではなくて荒野です。そして、5節にヨハネの姿の事が記されていますけれども、「らくだの毛の着物を着、腰には川の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった」。最近のはやりの言葉でいえば、「エコ」な生活ということになるのでしょうけれども、もちろん、そんなものではありません。彼の心に占めているのは、一つの思いです。それは、神が来られた時に、相応しいこのお方に相応しい生活をしたいということでした。富とか権力とかそういう人々の求めるものを求めるのではない、ただ、神だけに信頼するという姿がここにあらわされています。

 間もなく、神が来られる。神がおいでになる。これが、ヨハネの心を支配していた思いでした。ですから、このヨハネの語る言葉は一つです。 続きを読む ・説教 「神が来られる」 マタイの福音書3章1節-12節

・説教 「苦しみの現実の中で」 マタイの福音書2章13節-23節

鴨下直樹

 今年の御言葉として私たちは元旦の朝に、ヨハネの福音書14章1節の御言葉を聞きました。

あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

 

 私たちはこういう御言葉を聞く時に、時折思うことがあります。聖書は簡単にこういうことを言うけれども、現実の生活にはそれほど単純ではない、そんなに簡単にいくはずがない。心を騒がせてしまう時に、神を信じるなんてことはお題目としては分かるけれども、実際の生活というのは聖書通りにそう簡単にはいかないのだと思うのです。

 FEBCというキリスト教ラジオ番組があります。御存知ない方も多いと思いますので、少しこのラジオのことを紹介する必要があるかもしれません。このラジオ番組はキリスト教のラジオ放送で、毎晩夜の9時45分から10時45分までの1時間15分の放送で、AM1566kHzで聴くことができます。大変よいラジオ番組です。日曜日には、各地の礼拝のもようを聴くことができます。あるいは、各地の教会や、牧師の働きが紹介されることもあります。その中で各地の牧師たちが紹介されている番組があり、昨年の事ですけれども、東海地区の牧師たちというシリーズでお話いただけないかという依頼が私の所にもありました。電話でお話を聞いたところ、よくリスナーからラジオ局に問い合わせが来る。それは、牧師たちは講壇ではいつも聖書から話しているけれども、牧師の本音はどうなのかというところを聞いてみたいということのようです。 続きを読む ・説教 「苦しみの現実の中で」 マタイの福音書2章13節-23節

・説教 「神を信じ続ける一年」 ヨハネの福音書14章1節

 元旦礼拝説教

 

2010年 年間聖句 (ヨハネの福音書14章1節)

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

 

 

鴨下直樹

 新しい年を迎えました。今年私たちに与えられてる言葉はヨハネの福音書14章1節のこの御言葉です。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

 先日、私たちがドイツで教会実習をしていた教会から「教会だより」が送られてきました。これは、毎月出されているもので、初めに小さな説教が載っております。その最初のページに、もう一昨年になりますけれども、それまで私たちの教団に宣教師を送り出しているドイツ・アライアンスミッションの代表からドイツ自由福音教会の代表に変わりました、アンツガー・ヘルスティングが小説教を書いておりました。ドイツの全ての自由福音教会にあてられた説教です。もちろん、ここで全てを紹介することはできませんけれども、この説教は、「あなたがたは真っ暗闇の中にいるという経験をしたことがありますか」という問いで始まります。 続きを読む ・説教 「神を信じ続ける一年」 ヨハネの福音書14章1節

・説教 「二人の王との出会い」 マタイの福音書2章1節-12節

鴨下直樹

 今、私たちはクリスマスを祝っています。礼拝でマタイの福音書から順に御言葉を聞き続けています。先日、クリスマス・イヴに行われた燭火礼拝でもこの御言葉から聞きましたけれども、この朝もこの御言葉に耳を傾けたいと思います。

 この時期になりますと時々、クリスマスというのはいつまで続くのか、いつまで祝うのか、という質問を受けることがあります。もちろん、いつまででも祝い続けていいのですけれども、一月一日の元旦は、先日もお話しましたように、イエスと名付けられた「命名日」と呼ばれる日です。そして、一月六日は公現日とか、顕現日、あるいはエピファニーと言いまして、キリストが人々の前に明らかにされた日として祝います。教会の暦では、このエピファニーまでを降誕節と言って、クリスマスの祝いをする期間と考えています。そして、このエピファニーという日は、東の国の博士たちが礼拝にみどりごイエスを礼拝した時でもあるのです。

 この東の国の博士というのは、伝説によると、カスパル、メルキオール、バルタザールという名前であったと伝えられ、三人の博士ということになっていますけれども、もちろんはっきりしたことは分かりません。ドイツのケルンという大きな街に、ケルンの大聖堂、ドームと呼ばれる大きな礼拝堂があります。この大聖堂はこの三人の博士たちの棺があるということで知られていますし、そのためにこの町が栄えたのだとも言われています。このケルンの大聖堂・ドームに訪れますと、非常に大勢の観光者で賑わっていまして、大聖堂の中にある東方の博士たちの遺骨がおさめられている棺は、大きなもので、実にきらびやかな黄金の装飾が施され、訪れる人々を圧倒します。けれども、私はそこに行く度に、何とも言えない哀しさを覚えます。この博士たちはこんな黄金の棺におさめられ、人々から礼拝される対象となるようなことを望んだだろうかと考えさせられるのです。 続きを読む ・説教 「二人の王との出会い」 マタイの福音書2章1節-12節

・説教 「待つことの喜び」 イザヤ書12章1節-6節・マタイの福音書2章1節-12節

– クリスマス・キャンドルサービス 

 鴨下直樹

先ほど、いくつかのイザヤ書の御言葉を聞きました。これらの言葉は、主イエス・キリストのお生まれになる約700年ほど前に書かれたと言われています。このような言葉を耳にしながら、イスラエルの人々はキリストがお生まれになるのを待ち望んでいたのです。

 「待つ」ということは、とても楽しいことです。子どもの頃などは特にそうだったかもしれません。もうすぐ冬休みが来る楽しみ。クリスマスが来る楽しみ、お正月が来る楽しみ。さまざまなものを、本当に楽しみにし続けてきました。ところが、残念なことですけれども、大人になってしまいますと、この「待つ楽しみ」というものは次第に薄れていってしまうような気がします。 続きを読む ・説教 「待つことの喜び」 イザヤ書12章1節-6節・マタイの福音書2章1節-12節

・説教 「クリスマスの大冒険」 ルカの福音書2章1節-20節

– クリスマス・ファミリー礼拝 –

 ⇒音声を聞く

 

鴨下直樹

 今日はクリスマス・ファミリー礼拝ということで、子どもと大人とが一緒にクリスマスのお祝いをしています。先程、エプロンシアターで、クリスマスの物語りを聞きました。クリスマスには、今エプロンシアターで見たように、羊飼いたちや東の国の博士たちといった色々な人たちが、生まれたばかりのイエス様のところにお祝いをするために尋ねてきたのです。こうして、クリスマスには色々な人たちが、特に家族が集まって来て、一緒にお祝いするという習慣がうまれました。

 先日、ある方とお話をしていて、面白い話を聞かせてくれました。 続きを読む ・説教 「クリスマスの大冒険」 ルカの福音書2章1節-20節

・説教 「インマヌエル・主が共におられる」 マタイの福音書1章18節-25節

第2アドヴェント主日説教

鴨下直樹

⇒音声を聞く

 先ほど、私たちは共に洗礼と転入会をなさった方々の証を聞きました。いつも、このような証を聞く時に私が思うことは、神がこの一人一人と共にいてくださるということを覚えることです。

 主イエスを信じる。自らの救い主として受け入れる。このお方をキリストと信じる。それは、インマヌエルであられる、主が共にいてくださってはじめて可能となるのです。

 

 今日は、いつもよりも短い時間ですけれども、共に御言葉に耳を傾けていきたいと思います。先週からマタイの福音書を通して主の御言葉を聞いております。この福音書にはこの書き出しのところに、先ほども言いましたけれども「インマヌエル」という言葉が語られます。そして、この福音書の最後に、もう一度「インマヌエル」という言葉で締めくくられています。「神は私たちとともにおられるという意味である」と、新改訳聖書にはカッコ書きで記されています。新改訳はこれは後代になって説明として補われた言葉であって、もともとの本文にはなかった言葉ということでこれをカッコ書きにしているようです。

 この朝、みなさんと共に考えたいと思っているのは、この「インマヌエル」、「共にいてくださる神」を私たちはどこで見出すことができるかということです。 続きを読む ・説教 「インマヌエル・主が共におられる」 マタイの福音書1章18節-25節

・説教 「系図に示されし神の御計画」 マタイの福音書1章1節-17節

鴨下直樹

 →音声を聞く

 今週から教会歴でアドヴェントを迎えました。待降節とも言います。主イエス・キリストの御降誕を待ち望む季節を迎えたのです。このアドヴェントと言いますのは、教会の暦では一年の初めになります。それで今朝はアドヴェントの蝋燭の一本目に火が灯りましたし、タペストリーも紫色に変わりました。このアドヴェントの季節には「待つ」ということを表す紫色を使うのです。教会の暦では一年の最初の日になります。新しい年を迎えて最初にすることは、キリストがおいでになることを待ち望むことだと、教会では長い歴史の間、そのように覚えてきたのです。それは、主イエスがクリスマスにお生まれになったように、もう一度この地においでになる日を待ち望む信仰を忘れないようにしようということでもあります。

 このアドヴェントから、私たちの教会では共にマタイの福音書から新しく御言葉を聞き続けていこうとしているのです。マタイの福音書は「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」という言葉で始まります。この「系図」とされている言葉ですが、これは少し面白い言葉で書かれております。 続きを読む ・説教 「系図に示されし神の御計画」 マタイの福音書1章1節-17節

・説教 「幸いな道」 詩篇1篇

鴨下直樹

昨日、JさんとMさんの結婚式が行われました。今年の4月頃からだったでしょうか、お二人はこの芥見教会に来られるようになり、11月に結婚の予定で新しい教会を探しているということでした。それ以来この芥見教会にお二人で礼拝に出席されて、昨日無事に結婚式を行うことができました。本当に、昨日のお二人の姿は幸せそうだと、出席された方みんなが思われたのではないかと思います。

今日の説教題は「幸いな道」といたしました。「幸いな道を歩む人」、「幸せな人」というのはどういう人のことだろうかと考えてみますと、結婚する花嫁と花婿のようだと、誰もが思われるのではないでしょうか。もちろん、生涯を共にする人と出会うこと、そして、結婚することは本当に幸いなことです。このふたりは、生涯を、喜びも悲しみも共にするのです。そして、昨日の結婚式でも説教いたしましたけれども、ふたりは指輪の交換と共に御言葉をそこに刻んで贈りあいました。とてもいいことだと思います。どんな時にもこの御言葉がお互いを支えるようにという願いを込めて贈った聖書の言葉でした。

この二人を支えているのが、御言葉を中心にして自分たちは生きていくのだという覚悟です。そして、今日の聖書が私たちに語るのも全く同じです。私たちの人生が、御言葉を中心として築き上げられていくなら幸いな道を歩むことができるというのです。

この詩篇第1篇は、詩篇150篇全体の序文ともいうべき内容で、この最初に置かれているに、もっともふさわしい詩篇の箇所だと言えます。この詩篇は二つの道と題をつけることができるほど、「幸いな道」と「悪者の歩む道」という二つの異なった生き方の違いがうたわれています。 続きを読む ・説教 「幸いな道」 詩篇1篇