・説教 「断食の心」 マタイの福音書6章16-18節

鴨下直樹

この山上の説教の第6章というのは、主の祈りを中心にして記されています。けれども、この祈りの前後に人前で見せる善行について、善い行いについて、主イエスはいくつかの注意を呼びかけています。もうずっと主の祈りを長い間かけて学び続けていましたので、この祈りの前後に何が書かれているかということを忘れてしまいそうですけれども、施しと、祈り、そして断食という当時の信仰者が大切にしていた信仰の姿を取り上げながら、主イエスはここで真の信仰の姿とは何かということを丁寧に語っておられるのです。

それで、今日語られているのが、この「断食」というところになります。「断食」というのは、今日の教会でそれほど熱心に勧められるということはあまりないように思います。信仰者の姿というよりは、むしろ健康に気をつけている人が食べ過ぎた時は断食がいいとか、体をリセットするために三日ほどの断食をするといいなどという言葉を耳にするほどです。しかし、そうだからといって、キリスト者が断食を全くしないということでもないようです。私の友人も、自分の進路をもう一度考えたいという時に、断食をして祈ったなどと言っておりましたし、牧師をしております私の父も、大事な決断をしようとする時には、断食の祈りをしておりました。私たちはこういう話を聞きますと、「そうか、断食というのは何やら大事なことを決断する時にするものなのか」という思いを描く方もあるかもしれません。断食というのはそもそもどういうものなのかということについて考えてみる必要があります。 続きを読む ・説教 「断食の心」 マタイの福音書6章16-18節

秋の特別 子育て支援講座のご案内


※チラシをクリックすると大きくなります。

秋の特別子育て支援講座チラシ

9月21日(火)午前10時〜12時開催!

「だれもカンペキな親なんていない」

はじめから一人前の親などいません。

みんな、まわりからの助けを得ながら

親になっていくのです。

前回 春の特別プログラムでも大好評だった「Nobody’s Perfecntノーバディーズ・パーフェクト」の ファシリテーター 村上典子さんを お迎えし、1日体験講座としてご紹介します。講演会とは全く違い、子育て中の親が 自分の長所に気づき、子育てに対して 前向きな方法を見いだせるよう、ファシリテーターは手助けをします。参加型の新しいプログラムです。村上さんと共に、お互いの話を聞きながら ほっとする教会の雰囲気の中、「こころの子育て」を 発見してみてください。はじめての参加の方や、久しぶりの方、ちょっと のぞいてみたい方 大歓迎!!

日時: 9月21日(火)

10時00分~12時00分(受付9時45分~)

会場: 芥見キリスト教会 岐阜市芥見南山 1−8ー8  TEL:058-243-5798

対象:親(0さい〜小学校入学前のお子さんがいる方のための内容です。)

※親向けの内容です。乳幼児のお子さんのために託児スタッフがいます。

参加費:200円 (ケーキセットつき♡)

申し込み:9月18日(土)までにお名前とお子さんの年齢,同伴の有無をお知らせください。

Tel:058-243-5798 /Fax:058-241-8625 /E-mail: akutami@ccn4.aitai.ne.jp

・説教 「赦すことと赦されること」 マタイの福音書6章14-15節

鴨下直樹

今、私たちは礼拝でこのマタイの福音書の御言葉を聞き続けています。特に、今は山上の説教と言われる、5章から7章までの主イエスが神の国に生きるという生活とはどういうものなのかを教えられた言葉を聞いております。そして、その中心に記されているのがこの主の祈りです。私たちは、この主の祈りの言葉を先週まで一つ一つ丁寧に聞き続けてきました。
ある方は、その中でお気づきになられた方があったかもしれません。新改訳聖書では13節の最後の鉤括弧(かぎかっこ)の中にこう書かれています。〔国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕けれども一体、牧師は何故、この大事な言葉を省いてしまったのかと考えられた方があるのではないでしょうか。今日ははじめに、そのところからふれたいと思います。
新改訳聖書にはそのところに注がついておりまして、このように記されております。「最古の写本ではこの句は欠けている」とあります。最古の写本にこの文言はないということは、後の時代に書き足されたということが分かっているということです。そういうことで、ここは括弧書きになっているのです。つまり、主イエスが教えられた祈りの部分ではないことは明らかだということです。そういう理由から、ほとんど聖書にはこの部分は記されておりません。口語訳の聖書にも、新共同訳にもないのです。けれども、私たちは礼拝の中で主の祈りを祈るときにはこの部分も祈ります。やはり、こういう大事な言葉はいくら主イエスの言葉ではないからと言って、無くす必要はないのではいかと考えることもできます。それで、ドイツのルター訳や、英語のキングジェームス訳などという代表的な聖書はやはり括弧書きではありますが、この言葉が入れられているのです。
そうすると、私たちはこれをどう考えればいいのかということはやはり気になります。聖書の中にこの言葉が入れられているということは、一体、いつ、この文言が入れられるようになったのでしょうか。 続きを読む ・説教 「赦すことと赦されること」 マタイの福音書6章14-15節

・説教 主の祈り「試みにあわせないで、悪からお救いください。」 マタイの福音書6章13節

鴨下直樹

先週までの五週間の間、この芥見教会ではいつも水曜日と木曜日に行われている聖書研究祈祷会の時間に「信徒による聖書学び会」が行われました。十人の信徒の方々がそこで証しをしてくださったり、それぞれの日頃の生活の中からどのような主からの恵みを受けておられるかを証ししてくださいました。私もそのすべてに参加することはできませんでしたけれども、参加された方の口から本当にさまざまな感想を耳にすることができ、うれしく思いました。その中でも多くの方が言っておられたのは、自分たちの知らないところで、証しされた方々が悩んでいたり、困難を抱えたりしていながらも、主に祈りながら歩んでおられることを伺い知ることができて本当に良かったということでした。
普段親しくしている方のことは耳にすることがあるかもしれませんけれども、私たちはそれぞれがお互いの生活をよく知っているわけではありません。また、今回は教育部の長老が、なるべく役員に当たらないようにしたということもあって、普段なかなか耳にすることの少ない方々の証しを聞くことができたようです。

おそらくそこで多くの方が祈りの大切さ、あるいは祈りの力ということを改めて考えさせられたのではないかと思います。今、こうして主の祈りの言葉を一つずつ丁寧に学んでおりますけれども、そこで私がみなさんに本当に知ってほしいと願うのは、日ごとに祈るということの大切さを知ってほしいということです。祈りの働く力を、身をもって知っていただきたいのです。私たちは誰もが、人には一つ一つ報告することがなかったとしても、様々な日常の信仰の戦いがあります。そのような中で、私たちを支えるもっとも確かなものが祈りなのです。 続きを読む ・説教 主の祈り「試みにあわせないで、悪からお救いください。」 マタイの福音書6章13節

説教「私たちの信仰」 明田 勝利

本日は甲府市の明田勝利牧師が説教をして下さいました。

説教 「私たちの信仰」
ヨハネ 9章 35~38節

⇒ 音声を聴く

「私たちの信仰」   ヨハネ9章35〜38節

この朝、ヨハネ福音書を通して、私たちの信仰の背景について考えてみます。私たちの信仰を支えているものは何か。そのようなことを考えてみるとき、自分の信仰は、自分が支えているのではなく、過去から現在に続く、受け継がれてきた歴史があることに気づかされます。

ヨハネ福音書が、いつ、誰が、どこで書いたのか、正確には分かりません。ただ、四福音書の中では最後に書かれており、たぶん、紀元90年代後半終わりころに書かれていると考えられています。私にとって、聖書を読むとき、その時代背景に興味があります。人々がどのような時代に、何をどのように信じ、どのように生きていたのか。 続きを読む 説教「私たちの信仰」 明田 勝利

・説教 主の祈り「罪を赦したまえ」 マタイの福音書6章12節

鴨下直樹

私たちは礼拝で主の祈りを祈ります。みなさんの中には、毎日この主の祈りを祈っておられるという方も少なくないと思います。宗教改革者ルターは、ここで教えられている祈りの一つ一つは、生涯にわたって祈らずにはおられないほどの重大なものばかりである、と言っています。それで、長い教会の歴史の中でも度々この祈りを私たちの日毎の祈りとするようにと勧められてきました。
しかし、日毎にこの祈りを真剣に祈ろうとする時に、どうしても立ち止まらざるを得なくなるのが、今朝私たちに与えられている御言葉であるということができると思います。
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」という祈りです。
長く慣れ親しまれて来た文語訳聖書の主の祈りの言葉ではこうなっています。
「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
「私たちに罪を犯した者を私たちが赦したように、私たちの罪も赦して下さい。」と祈るのです。そうすると、そこでどうしても考えなければならないのは、「私たちが罪を赦したように」、文語訳の言葉では「我らが赦す如く」という言葉の持つ意味です。ここでは、もう私は人のことを赦していますから、どうか私の罪も赦してくださいと言うのです。

私が以前奉仕しておりました教会で、耳が聞こえなくなってしまった方が来ておられました。それまでは普通に聞こえていたのです。ところが、務めている会社でひどいいじめを受けて耳が聞こえなくなってしまったのです。やがて教会を訪ねるようになり、信仰を持つようになりました。そして次第に耳も聞こえるようになっていきました。ところが、その方がある時、私にこんな話をしてくださいました。私はこの主の祈りのこの部分になると声を出して祈ることができないのですと。いつも、ここだけは祈ることができずに黙っているというのです。このように心からは祈れないというのです。
このような厳しい経験はないかもしれませんけれども、みなさんの中にも主の祈りのこの部分が祈れなくなるというようなことがあるのではないでしょうか。 続きを読む ・説教 主の祈り「罪を赦したまえ」 マタイの福音書6章12節

子どもフェスタが開催されました

今年は快晴・猛暑のなか、子どもフェスタが開催されました!テーマは「たからもの」

ゲーム中
ゲーム中

午前中はエプロンおじさんとマー君登場。コッコちゃんによる宝探しゲーム、マレーネ先生によるメッセージ「大切なたからものは見つかった?」。

メッセージでマレーネ先生は「私の助けは全地をつくられた神から来る」というみ言葉から、僕のたからものはイエスさまと出会うこと、と説き、それからみんなでテーマソング「僕の宝物」を歌いました。

 

 

流しそうめん
流しそうめん

午後は流しそうめん。 そうめんの合間に流れてくるプチトマトやソーセージ、玉こんにゃく、ゼリー、チーズなどに歓声が上がっていました。 かき氷もおいしかった!!

青竹を使った工作タイムではそれぞれおきあがりこぼしを作り、それぞれ自分の作品と、竹おじさんからのプレゼント、一輪差しとリンドウをお土産にもちかえりました。