・説教 創世記21章8-21節「エル・ロイ」

2020.03.22

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 
 今、世界中で蔓延している新型コロナウィルスのために、世界中で大きな混乱を引き起こしています。フランスなどでは100人以上集まる集会は禁止されました。そういうこともあって欧米では実際にかなりの数の教会が教会堂で礼拝をすることが困難な状況を迎えています。外出禁止令が出された地域も多くあり、アメリカやイタリア、スペイン、フランス、ドイツなどでも非常に多くの人々がこの病に感染し、多くの死者が出始めています。このかつてないほどの危機的な状況のために非常事態宣言が出されているのです。

 そのために、世界中の経済活動が停滞し、収入がなくなってしまう人たちがたくさん出ています。それでも、病気を広げないために自宅に留まるということは、どれほど厳しい苦渋の決断を迫られるかわかりません。

 苦渋の決断。それは、一つの決断をしたとしても、そこに苦しみや苦さが残ることを指している言葉です。そして、私たちはこの朝、ここに集まって聖書のみ言葉を聴こうとしています。今日、私たちに与えられているみ言葉は、アブラハムが苦渋の決断を迫られているところです。

 アブラハムはここで苦渋の決断を迫られています。なぜなのでしょうか。アブラハムとサラに与えられた約束の子、イサクはここで乳離れの祝いを迎えています。3歳から4歳くらいではないかと思われています。その乳離れの祝いの時に、その出来事は起こりました。もう一人の息子、この時には少年に育ったイシュマエルが、まだ乳離れしたばかりの幼子イサクをからかっていたのです。子どものしたことだから、気にしないということもできたと思いますが、妻のサラは気にしないでおくことはできませんでした。実際、この「からかっているのを見た」という翻訳のところに注が付いていまして、「あるいは、笑っている」と書かれています。協会共同訳では「遊び戯れているのを見て」と訳しています。ほほえましい光景にみることもできるわけですが、見方によっては「からかっているようにも見える」ということが、翻訳からもうかがえます。実際に、サラはその光景をほほえましくは見られなかったようです。それで、サラはアブラハムに言ったのです。「この女奴隷とその子を追い出してください。」と。

 常識的に判断すれば、そんなことはできないことです。サラに我慢するように話をするのが大人としての判断なのだということを、私たちは知っています。しかし、妻サラがそう言うのです。世の男性と同じように、と言っていいかわかりませんが、アブラハムとしては、その声を無視することはできませんでした。

 このことはいろんな考え方ができると思います。「そもそも、ハガルから子どもをもうけるように勧めたのはサラではないか。自分の言葉の責任を果たすべきだ」と言うこともアブラハムにはできたはずなのです。

 アブラハムはどうしたのでしょうか。続く11節にこう書かれています。

そのことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。

続きを読む ・説教 創世記21章8-21節「エル・ロイ」

・説教 創世記21章1-7節「イサクによる笑い」

2020.03.15

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 今、私たちはレント(受難節)を迎えています。主イエスがエルサレムに入られてから十字架にかけられて殺されるまでの一週間の出来事を覚え、教会は40日間という期間、主イエスの苦しみに思いを寄せながらこの期間を過ごそうというのです。その期間は好きな肉を断つということで、その前に謝肉祭(カーニバル)をして、たらふく肉を食べておこうというお祭りまで行われるようになりました。レントは自分を喜ばせることはしないという期間でもあるわけです。ですから、どこかで今日のテーマである「笑い」は、あまりそぐわないような気もします。

 「レント」が連想させるものが、「苦しみ」や「試練」であるとすれば、「笑い」を連想させるのは「喜び」や「幸福」です。それは本来相反するものです。けれども、苦しみや試練の先にあるものが「笑い」であり、「喜び」であるはずです。

 実際にアブラハムとサラは、40日間どころではない、25年もの間、神から子どもが与えられる約束をいただきながら、子どもがいない悲しみを味わっていました。けれども、今ここに、アブラハムは試練を乗り越えた先にある喜び、即ち、神から与えられた笑いを心から味わう時が与えられているのです。

 1節にこうあります。

主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとおりに、サラのために行われた。

 「主は約束したとおりに」「主は告げたとおりに」と書かれています。ここには「言う」「告げる」という言葉が使われています。そして、それを受けて「顧みられた」「行われた」という動詞が続いています。神が語られた言葉と、それを受けて起こった出来事が、ここで一つに結びついているのです。特に、この「顧みる」という言葉は、ヘブル語で「パーカード」と言いますが、神の救いの御業を表す言葉です。例えば、イスラエルがエジプトの奴隷から解放された時に、この「顧みる」という言葉が使われています。主なる神が心を向けてくださって、事を行ってくださるということです。

 そして、この言葉にはもう一つの意味もあります。というのは、この言葉は「訪問する」という意味の言葉でもあるのです。神が言葉を語られるときは、ただ口に出して相手に言葉を投げかけるということではなくて、その言葉がそのとおりになるように訪問してくださる、訪れてくださるという意味があるのです。このように、神が語られた言葉は、必ず実現するのです。
 
そして、その言葉のとおりの出来事が起こります。

サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ

と続く2節に記されています。

 神が語られた言葉は、そのまま出来事となるのです。この箇所は、まるでクリスマスの出来事と似ています。フランスのヴェルダンにある教会には、片方に降誕の出来事が描かれていて、もう片方には、サラがイサクを産んだ場面が描かれている祭壇画があるのだそうです。

 ちょっと珍しい祭壇画ですが、このイサクの誕生の出来事を正しく理解していると言えます。というのは、この時、サラから生まれたイサクは、アブラハムの子孫の第一子です。先に生まれたイシュマエルはアブラハムの子孫として数えられていません。このイサクは、直接の神からの約束の担い手であり、アブラハムに約束された神の救いの計画は、イサクから始まるのです。それは、新約聖書で語られているマリアから生まれた「主イエスのひな型」であったと言えるのです。

 私たちの多くは、この時に生まれたイサクのことをあまりよく知りません。先日、T兄が神学塾に入塾するための試験を受けました。その試験の中に、聖書の中に出てくる人物について二行で短く説明するという問題が出されることがあります。先日のテストにイサクという問題が出たかどうか、私は覚えていませんが、イサクについて書きなさいと言われたらみなさんはどんなことが書けるでしょうか。アブラハムとサラの子ども、イサクの子どもはエサウとヤコブ。そのくらいのことは書けるかもしれません。けれども、それは両親のことと子どものことを答えただけで、イサクの人となりについてはまるで答えていないのと同じです。 続きを読む ・説教 創世記21章1-7節「イサクによる笑い」

・説教 創世記20章1-18節「アブラハム再び・・・」

2020.03.08

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 今日の説教題を「アブラハム再び・・・」としました。「・・・」の中に何を入れるか、色々な想像力が働くかもしれません。「アブラハム再び、ブラックアブラハムに」。そんなタイトルにしてもよかったのかもしれません。私が好きな映画で、スターウォーズというのが、ありますが、そのイメージ言えば「ダークサイドに堕ちたアブラハム」という言い方もできるかもしれません。ちょっとマンガのような描写ですが、この創世記は、ホワイトアブラハムとブラックアブラハムという、良いイメージと悪いイメージが交互に登場してくるような書き方をわざとしているのではないかと感じるほどです。

 と言いますのは、この20章で、アブラハムが12章で犯した失敗をもう一度このタイミングで犯してしまうというのは、少し考えにくいのです。18章に出てくるのはホワイトアブラハムですが、ロトとソドムの人々の救いを求めて祈る美しい信仰者の姿です。そして、その際に、主とお会いしながら、来年の今ごろサラから子どもが生まれるというお告げを、アブラハムにも、サラにも受けているということが書かれているのです。ひょっとすると、サラのお腹は大きくなっていたのでないかという想像すらできる、そんなタイミングで、自分の妻であるサラをカナンの君主であるアビメレクに嫁がせたというのです。

 サラはこの時90歳ということになります。もちろん90歳でも美しい方もあると思います。アビメレクの好みがそういう女性であったということもあるかもしれません。けれども、一般的にはこのタイミングは考えにくいわけです。1節にアブラハムたちが「ゲラルに寄留していたとき」とあります。このゲラルという町は、ここではカナン人と書かれていますが、後のペリシテ人と呼ばれる民族の首都となった町です。そういう町の王ですから、アブラハムが恐れを覚えたとしても理解はできます。しかし、時間的な順序としては少し考えにくいタイミングです。

 ただ、そういうタイミングであえてこの出来事をここに置いているわけですから、そこには聖書の意図があるはずなのです。そして、その意図というが、ここを読み進めていくと見えてくるようになります。

 まず、ここから見えてくるのは、アブラハムの弱さです。かつて12章でエジプトに赴いた時に、自らのいのちを守る決断として、妻のサラを妹ということにしたのです。そのときアブラハムは75歳ですから、このタイミングでいえばそれから25年たっていることになります。そういう長い間、主と共に歩んできたのにも関わらず、アブラハムの主への信頼が少しも深まっていないかのような印象を受けるのです。自分の身は自分で守らなければならないというアブラハムの姿勢がここでも明らかになっているのです。

 これは、私たちも経験のあることでしょう。自分の弱さというのは、時間がたってもなかなか乗り越えることができないことを、私たちは誰もが経験しているのではないでしょうか。

 お金に弱い、異性に弱い、自己防衛本能が強い、色々な弱さが私たちにはあります。つい陰口を言ってしまう。自分の方が力がある、上だと示したくなる。挙げればきりがありませんが、人にはそういう弱さがあるのです。アブラハムの弱さは、美しい妻でした。妻が美しすぎるために、自分のいのちが狙われるかもしれないという恐怖をいつも持っていたということになります。それが、妻が90歳になってもなおそうであったということになるのだとすれば、一方で妻は嬉しかったのかもしれません。けれども、それは同時にアビメレクに引き渡されてしまった時点で、そのアブラハムの思いは結局自分が可愛いだけのことではないかということにもなるわけです。

 ここにきて、まだアブラハムの中には乗り越えられていない弱さが存在していることを、聖書はこうして描き出しているのです。 続きを読む ・説教 創世記20章1-18節「アブラハム再び・・・」

新型コロナウィルスに関する教会からのお知らせ

芥見キリスト教会では新型コロナウィルスの感染拡大に対して、長老会で下記のようにすることを決定しました。

  • 芥見キリスト教会では礼拝は継続します。
    午前9時からと10時半からの二度に分けて行います。
  • 礼拝以外のすべての集会や集まりを当面(まずは3月いっぱい)中止にします。また、その期間、教会での飲食の提供もいたしません。いろいろな集まりに来られておられる方があると思いますがご理解とご協力をお願いします。
  • 礼拝に集われる方は出来る限りマスクを着用し、入り口にあるアルコール消毒などをお使いください。また、すこしでも体調のすぐれない方は教会に来ることを見合わせ、ホームページやアプリから説教をお聞きください。また各自で帰宅後には手洗いやうがいなどをしてくださり、それぞれで各自で対策をお願いします。
  • また礼拝では換気をしながらの礼拝になりますので、暖かい服装でお集いいただきますようお願いいたします。

 芥見キリスト教会 長老会

・説教 創世記19章1-38節「うしろを振り返ることなく」

2020.03.01

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 ここ連日、テレビをつけると新型コロナウィルスのニュースで持ちきりです。もう、誰もが専門家になったのではないかと言えるほどに、このニュースの話ばかりが取り沙汰されています。実に多くの人がパニックになっていて、トイレットペーパーもなくなるところが出ているとかいう報道を耳にしています。多くの人が疑心暗鬼になっている姿がここからもよく分かります。

 そういう状況の中で、今日私たちは創世記19章のみ言葉に耳を傾けようとしています。 この物語の中心的な主題は神の裁きです。予期せぬ状況が目の前に迫ったときに、人はどう行動するのか。そのことがここで描き出されています。

 ここで神に滅ぼされたソドムとゴモラがどれほど罪深いのか、それは、この箇所を読むと明らかです。この町は道徳的に腐敗していたのです。今日ではさほど罪悪感を感じることもなくなっている、さまざまな形の性的な不道徳がここで明らかになっています。そして、それを神はそのまま見過ごしにすることのできない罪であることをここで明らかにされています。

 このソドムの腐敗ぶりは、わざわざこの聖書を丁寧に説明する必要もないほど明らかです。ここで、神が遣わされた二人の御使いは、ただ決然と事に当たっているのです。そこには、何の弁解の余地もなく、それらの人々が憐れみの対象にすら、もはやなっていないという事実を、私たちはどのように受け止めたらよいのでしょうか。

 これらの不道徳を悔い改めることがないならば、それは罪としてそのまま残る。そして、その罪のために神はこの町を滅ぼされるという事実に、私たちは目を向ける必要があるのです。このような神の裁きを目の当たりにするときに、私たちは神を畏れます。しかし、ほとんど、私たちのこの世界は、この神を軽んじ、神に対する畏れを抱くこともないまま、罪の上にあぐらをかいて生きてしまっているのです。目の前に危機的な状況がなければ普段は平和で、本当に考えなければならないことから目を背けて生きているのが、私たちの日常なのかもしれません。

 今、世界中がこの新型コロナウィルスのためにほとんどパニック状態に陥ってしまっています。カトリック教会は北海道と東京で礼拝を取りやめにしたというニュースも入っています。また、礼拝中止を検討する教会も出てきています。

 確かに、政府の要請ですべての学校を休校にするように呼びかけているわけですから、このような反応は一方では理解できます。もし教会から感染が拡大してしまうならば社会からどれほど大きな攻撃が加えられるか分からないからです。人を守るための決断のために、全国の小中高の学校がひと月にわたって授業を止めて、自宅待機にするというのは、大きな決断であったと思います。そういう世の流れの中で、教会も同様に対応する。それは一つの社会に対する責任の取り方です。

 ただ、そういう中で忘れてはならないのは、何よりも大切なことは、どんな事態に陥ったとしても、神を畏れる心を軽んじることはできないのだということです。例えばこの教会から被害が出て、実質建物が閉じられるようなことが起こったとしても、私たちは神への礼拝をやめるという決断はないのです。礼拝を取りやめている教会でも恐らく、形を変えて礼拝をしているのだと思います。たとえ場所や形を変えたとしても、神を神として礼拝をささげることが何よりも大切なことです。目の前に起こっている現象だけ見て、事の本質を忘れてしまっているのだとすると、本当のことが見えなくなってしまうのです。 続きを読む ・説教 創世記19章1-38節「うしろを振り返ることなく」

今月の礼拝予定(2020年3月)

3月1日 受難節第1主日

主日主題: 神の裁き
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: 創世記19章1-38節
説教:「うしろを振り返ることなく」」鴨下直樹牧師

午後:役員会

3月8日 受難節第2主日

主日主題:神への畏れ
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: 創世記20章1-18節
説教:「アブラハム再び・・・」鴨下直樹牧師
子ども: 「アブラハムの生涯より」鴨下愛

午後:礼拝準備会/月間予定確認会、聖歌隊練習

3月15日 受難節第3主日

主日主題:笑い
ファミリー礼拝: 午前10時30分
聖書: 創世記21章1-7節
説教:「イサクによる笑い」鴨下直樹牧師
子ども: 「アブラハムの生涯より」河合和世

午後:手話講座

3月22日 受難節第4主日

主日主題:見られる神
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: 創世記21章8-21節
説教:「エル・ロイ」鴨下直樹牧師
子ども: 「アブラハムの生涯より」鴨下愛

午後:教団3月総会@岩倉教会

3月29日 受難節第5主日

主日主題:共におられる神
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: 創世記21章22-34節
説教:「共におられる神と生きて」鴨下直樹牧師
子ども: (未定)鴨下愛

子どもと親のプログラム(2月のご案内)

akutami_kodomo_202003_cap

 

  • キッズゴスペル(サタデージョイ内で始めます!)
    ...土曜日 朝10:00~11:30(現時点では第3土曜日を予定)5月からスタート予定で準備中。
    参加費:500円(ゴスペルのある回のサタデージョイのみ有料)
    対象:小学1年生~6年生

    毎回、東海地域で4つのクワイアを指導する兼松弘子先生を講師にお招きし、英語でのゴスペルソングに挑戦していく予定です。
    英語は読めなくても、耳で覚えて唄えるようになります!
    興味のある方はお問い合わせください。

    ゴスペルとは、本来「福音~良い知らせを告げる~」という意味です。
    聖書の神さまからの『私はあなたを愛しているよ!』というメッセージです。
    ゴスペルソング(黒人霊歌:アフロ・アメリカン・スピリチュアル)は海外で多くのミュージシャンが幼い頃にその音楽に触れて育っています。

 

  • Mama’s cafe with こひつじ
    ...3月は休会です。

 

  • 就園児(3歳から)と親のプログラム「ハレルヤちびっこ」
    ...3月は休会です。

 

  • 小学生のためのプログラム「サタデージョイ」
    ...3月7日、14日、21日(毎週土曜日。ただし祝日にあたる場合や、公立校の土曜授業日、夏・冬休み期間中はお休みです。)朝10:00~11:30 参加無料
     
    ★見て、聞いて、さわって、食べて、しゃべって、作って! 楽しいプログラムが待っています!

今年もいっぱい遊んで、聖書を学んでいっしょに心豊かに成長しましょう!
 

  • 宣教師館のゲームナイト(旧「芥見JC」、青年学生向き)
    ...3月21日(土)夕18:00~
    (毎月第3土曜日)
    参加費:200円(軽食付き)
    会場:芥見7丁目にある宣教師館
     
    ★ドイツのボードやカードゲーム

 
お問い合わせ・申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。
 

・説教 創世記18章16-33節「主の前に立つアブラハム」

2020.02.16

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 私たちはここ二週間ほどでしょうか、テレビをつければ新型コロウィルスのニュースにくぎ付けになっています。ついに、日本人の死者が出たとか、感染ルートが分からない人が感染したという、もうこの新しい病が身近に差し迫っているというような危機感を煽る報道に、私たち自身もどのような身の振り方をすればいいのかと不安になります。

 こういう報道をテレビなどで見ていますと、ふとこういう考えが心に浮かんできます。神様はどうしてこういうことをゆるされているのかと。もし神のゆるしがあって、この新しい病気で次々に多くの人の命が奪われているということならば、きっとこれは神の裁きなのではないか。そんな考えが私たちの頭の中に出てくるわけです。信仰生活の長い歩みの人は、こう考え方からある程度自由になっている人もいると思いますが、どうして神様はこんなことをなさるのだろうかという思いを抱かれる方もあると思うのです。

 もちろん、それは今回の病気にとどまりません。地震や、災害に見舞われるとき、不慮の事故や、災いを経験するとき、私たちの心の中に「神よ、どうして」という疑問が出てくることがあります。今日の聖書は、まさにこの神の裁きをどのように理解するかということと深くかかわってくる箇所と言えます。

 と言いますのは、ここで聖書は、神がロトたちの住んでいるソドムとゴモラの町を滅ぼそうとしておられるというのです。この箇所は神の裁きを語る箇所です。

 ここで聖書が神の裁きをどのように書いているのか、まず、注意深くこのところに目を向けていきたいと思いますが、この17節でこう書かれています。

主はこう考えられた。「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」

 ここでソドムの町が裁かれることを、神がアブラハムに相談するべきではないかということを考えておられる、と書かれています。神様の心の中のことが書かれているなんて、ちょっと珍しい箇所です。それは18節以下にも続いています。

アブラハムは必ず、強く大いなる国民となり、地のすべての国民は彼によって祝福される。わたしがアブラハムを選び出したのは、彼がその子どもたちと後の家族に命じて、彼らが主の道を守り、正義と公正を行うようになるためであり、それによって、主がアブラハムについて約束したことを彼の上に成就するためだ。

 とそのように記されています。つまり、これから起こるソドムとゴモラの神のさばきの計画を、アブラハムが知ることは、神がアブラハムに与えた約束が実現するためにどうしても必要なのだと言っているわけです。そして、ここで一番大事なことは何かというと、このことで、アブラハムやアブラハムの一族が「主の道を知り、正義と公正を行うようになるため」と言っています。 続きを読む ・説教 創世記18章16-33節「主の前に立つアブラハム」

・説教 創世記18章1-15節「主にとって不可能なこと?」

2020.02.09

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 前回の17章でアブラハムは99歳、妻のサラは89歳。この時に主なる神はアブラハムに、来年の今ごろサラから子どもが生まれると語られました。今日の箇所はその続きと言いますか、今度はアブラハムだけでなくサラにもこの知らせが伝えられたことが書かれています。

 この頃、アブラハムたちはマムレの樫の木のふもとで暮らしています。ここに住み始めてもう長いこと時間がたっています。ロトと別れた時から、聖書で言えば13章の時から、アブラハムはこのマムレの樫の木のところで生活しています。このマムレというのは14章でアブラハムがエラムの王ケドルラオメルの連合軍と戦った時に、アブラハムと盟約を結んでいた人物で、一緒に戦って勝利を得ています。つまり、アブラハムは神から土地を与えられる約束をいただいていても、なおも、マムレの所有する土地を間借りするような状態で、ここまで過ごしていたということです。

 アブラハムにとってマムレの樫の木のふもとはもう住み慣れた地です。そこで落ち着いた生活をしていたところで、3人の旅人が日の暑い時間帯に、アブラハムの天幕のそばを通りかかったのです。

 この三人の旅人は主なる神ご自身でした。「主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた」と1節に書かれています。これは、主がわざわざアブラハムに会われるために、出向いて行かれたということです。17章と内容が同じですから、創世記では時々そのような書き方になりますが、アブラハムに語られた出来事と、サラにも語られたというように書き方を分けて書いているのかもしれません。それは、あのクリスマスの出来事の時と同じように、マリヤに御使いが受胎告知されただけでなくて、夫のヨセフにも語りかけられたことと似ています。

 主はアブラハムに寄り添われて、その信仰を導かれるように、ここではサラに対しても同じように、サラの信仰をも導いてくださるお方なのです。

 しかし、もちろん、アブラハムは主がわざわざ自分に会うためにこられていることは知らなかったはずです。アブラハムは、普段からこのように旅人を持てなしていたのか、あるいは、この旅人からただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、はっきりしたことは書かれておりませんから分かりませんけれども、精一杯のおもてなしをいたします。

 今年、オリンピックがあります。その時に「お・も・て・な・し」という言葉が日本の心を表す言葉として紹介されていましたが、アブラハムのおもてなしは、おもてなし文化のあるという私たちの予想を超えるおもてなしです。

 少し余談ですけれども、日本に毎年ドイツから一年の短期宣教師たちがもう何十年も前から来ていますけれども、彼らに聞くと日本で家に招かれたことがないと口をそろえて言います。そんなことを考えると、私たちは「おもてなし」という文化を持っていると言えるのかどうか、怪しい気がしています。人を自分の家に迎えるという気持ちよりも、掃除がめんどくさいとか、きっと他の人がやるからいいとか、そこまで親しくないとか考えるわけで、相手の気持ちよりも、自分の事情が優先されているのではないかということを考えさせられます。ところが、アブラハムはそうではありませんでした。

 まず、「三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作りなさい」と6節にあります。先週、「55プラス」の集会に28名もの方々が参加されたそうです。そこではいつもマレーネ先生がパン菓子というか、ケーキを焼いてくださっています。これは本当におもてなしの心だと思います。それが魅力でたくさんの近隣の方々が教会を訪ねてくれているのだと思いますが、30人分のケーキを焼くのに必要な小麦粉はせいぜい2リットルくらいでしょうか?焼いたこともない私が偉そうに言うことではありませんが、23リットルものケーキを焼かされたサラはかなり大変であったことは想像するに難しくありません。

 それだけではなくて、子牛を一頭屠ります。もう大盤振る舞いです。それに凝乳と牛乳を準備します。「凝乳」というのは、チーズかヨーグルトかと思いますが、ドイツには「クワーク」というパンに載せて食べるヨーグルトとチーズの間みたいなのがあります。そんなイメージでしょうか。ドイツのルター訳ではどうなっているかと思ってみてみたら、「バターとミルク」となっていました。パンにあわせるものですから、バターの方が合いそうな気がしますが、どうだったのでしょうか。

 サラはパンの準備、しもべは子牛をほふって大忙し、アブラハムも8節には「彼自身は木の下で給仕をしていた」とありますから、もう一族上げての「お・も・て・な・し」です。 続きを読む ・説教 創世記18章1-15節「主にとって不可能なこと?」

子どもと親のプログラム(2月のご案内)


akutami_kodomo_202002_cap

 

  • 【新プログラム】キッズゴスペル(サタデージョイ内で始めます!)
    ...土曜日 朝10:00~11:30(月1回、変動あり)

    4月からスタート予定で準備中。(3月のご案内で日程をおしらせします。)
    毎回、東海地域で4つのクワイアを指導する兼松弘子先生を講師にお招きし、英語でのゴスペルソングに挑戦していく予定です。

    対象;小学1年生~6年生
    英語は読めなくても、耳で覚えて唄えるようになります!
    興味のある方はお問い合わせください。

    ゴスペルとは、本来「福音~良い知らせを告げる~」という意味です。
    聖書の神さまからの『私はあなたを愛しているよ!』というメッセージです。
    ゴスペルソング(黒人霊歌:アフロ・アメリカン・スピリチュアル)は海外で多くのミュージシャンが幼い頃にその音楽に触れて育っています。

 

  • Mama’s cafe with こひつじ
    ...2月18日(火)朝10:00~12:00
    参加費:200円…デザート&飲み物
     
    ノーバディーズパーフェクト(略NP)から生まれたママ達のおしゃべりサロンです。美味しいランチもついてます。学童期(思春期)のお子さんを持つお母さんも是非一緒に♪
     
    お申込みは教会(電話 ♪058-243-5798) または担当 山田まで
    ⇒こちらのフォームからメッセージを送信することもできます。
    (お申し込みは2月15日頃までにお願いします)。
     
    ★プレイスペースがあり、ママもお子さんもゆっくりくつろいでお話できます!★

 

  • 子どもグッツや日頃の裁縫、素敵な作品なんでも!「マレーネ先生とてしごとの会」
    ...2月12日(水)朝9:30~13:00(毎月第2水曜日)
    茶菓代:100円

 

  • 就園児(3歳から)と親のプログラム「ハレルヤちびっこ」
    ...2月8日(毎月第2土曜日)朝10:30~12:00
    ※参加費:親子一組で200円
    前日までに出欠をご連絡ください。

 

  • 小学生のためのプログラム「サタデージョイ」
    ...2月8日、15日、22日(毎週土曜日。ただし祝日にあたる場合や、公立校の土曜授業日、夏・冬休み期間中はお休みです。)朝10:00~11:30 参加無料
     
    ★見て、聞いて、さわって、食べて、しゃべって、作って! 楽しいプログラムが待っています!

今年もいっぱい遊んで、聖書を学んでいっしょに心豊かに成長しましょう!
 

  • 宣教師館のゲームナイト(旧「芥見JC」、青年学生向き)
    ...2月15日 夕18:00~
    (毎月第3土曜日)
    参加費:200円(軽食付き)
    会場:芥見7丁目にある宣教師館
     
    ★ドイツのボードやカードゲーム

 
お問い合わせ・申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。