子どもと親のプログラム(12月のご案内)
- Mama’s cafe
...12月15日(火)朝10:00~12:00(今月は第3火曜日です)
参加費300円(デザート&飲み物)※申し込みは27日頃までに - こひつじクラブ (乳幼児と親)
...12月8日(火)朝10:30~12:00 - ハレルヤちびっこ (3歳以上~就学前の子どもと親)とサタデージョイ(小学生)は、今月は合同です。
...キッズ★クリスマス 12月12日(土)朝10:00~12:00
2015.11.22
鴨下 直樹
11月14日、私たちの教会で特別講演会を行った日に、フランスのパリで同時多発テロが起こりました。日本でははじめあまり取り上げられていませんでしたけれども、ヨーロッパではかなり大きな問題として人々は捉えています。毎日の生活が脅かされているのです。多くの人々は今、とても不安な中で毎日を過ごさなければなりません。それと同時に平穏な生活というのは常に脅かされる危険があるのだということを、誰もが身に沁みて感じています。
このヨハネの福音書には「世」という言葉が何度も出てきます。「コスモス」という言葉です。それ以外にも聖書には「世」と言う言葉は何種類かあるのですが、この「コスモス」という言葉は、神に敵対する世界という意味でこのヨハネの福音書では使われています。神の救い、神の支配、神の国、色々な言い方で聖書では書かれていますけれども、この神の救いの世界に相対する世界が「世」と聖書では言っています。それは、こういうふうにも言うことが出来るのですが、神の救いのない世界という意味です。
聖書を読む時に、私たちはいつも、この世界に生かされているということを念頭においている必要があります。そして、前にも話しましたけれども、この救いのない世界に私は生きているということ、この世と自分とは無関係ではないということ、自分も世そのものとなっているという部分を認めなければなりません。
テロが起こったので、この世界は危ないということではありません。テロが起きてしまう世界、誰でも自分の正義を持ちうるこの世界そのものは、神の正義とは違うところで生活が営まれている世界なのです。私たちは、11月14日以前からどうしようもないほど危ない世界に生きています。神の救いのない世界に生かされているのです。
なぜ、この世、この世界には救いがないのか。そのはっきりとした答えが、今日の聖書の中に記されています。それは、主イエスがこの世界におられないからです。いや、この世が、この世界が主イエスを殺してしまった。神がこの世界にもたらそうとした救いを、この世界は拒みました。それが、主イエスの十字架です。ここに、この世界の罪があります。神の救いがなくても、この世界で幸せに生きられるのだと人々は考えているのです。 (続きを読む…)
2015.11.15
鴨下 直樹
今日は、主に11節を中心にこのみ言葉に耳を傾けてみたいと思います。
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
ヨハネの福音書の第十七章は主イエスの祈りが記されているところです。しかも、最後の祈り、主イエスが十字架で死ぬ直前の祈りです。弟子たちへの最後の別れの言葉を伝えたあとで、主イエスが弟子たちと別れる前に、祈った祈りです。その祈りは、この世に残される弟子たちを守って欲しいという祈りです。
今日は召天者記念礼拝です。今日は共に先に天に送った私たちの家族、信仰の友として生きられた方々のことを思い起こしながら、礼拝を捧げています。礼拝では順にヨハネの福音書からみ言葉を聞き続けていますけれども、まさに、この箇所は召天者記念礼拝にふさわしい箇所です。けれどもよく考えてみますと、私たちは毎週の礼拝において既に天にあげられた主イエスのことを思い起こしつつ礼拝をささげているのです。
昨日のことですけれども、私たちの教会で特別講演会を行いました。名古屋にあります中京大学の安村仁志学長をお招きいたしました。講演のテーマはすこし長いのですけれども、「人とは何者なのでしょう。人はどこに向かっているのでしょう。ほんとうに大切なものは何でしょう」というテーマでした。安村先生自らがつけてくださったテーマです。
この講演で安村先生は、「パスカルの原理」で知られるフランスの自然哲学者でもあり、思想家でもあるブレーズ・パスカルの話をもとにお話しくださいました。このパスカルという人はパンセという本を書いたことで知られています。あの「人間は考える葦である」と言った人です。私も昨日とても興味深く聞いたのですが、このパスカルがどんなふうに人間を見ていたのかというところから講演をしてくださいました。もちろん、ここで昨日の講演を繰り返すつもりはありませんけれども、パスカルは「人間が偉大なのは、自分が悲惨だということを知っている点においてである」と考えたのだそうです。それは、自分の存在が不確かなものだというところからきているわけです。このパスカルが悲惨さをどこに見たのか、いくつかあるようですけれども、人間は死んでしまう存在だということ、そして、無知であるということです。人は必ず死ななければならないというところから生じる悲惨さ、知らなければならないことも知っていない悲惨さ。けれども、その悲惨さを受け止めることができるなかに人間の偉大さがあると考えたのです。多くの場合、人はその自分の悲惨さに目を止めようとはしません。それで人間は何をするのかというと「気晴らし」をするのだとパスカルは考えたのだそうです。どういう気ばらしかというと、死ぬとか、無知だとかいうことを考えなければ幸せでいられるというわけです。思い当たるところがたくさんある気がします。それで、パスカルは神を知らなければその人間の悲惨さからは解放されないのではないかと考えたということでした。 (続きを読む…)
2015.11.08
鴨下 直樹
先日、子どもを幼稚園に乗せていく途中、娘が急に質問をしてきました。「ねぇ、神様は誰かがつくったの?」と言うのです。いつも、この世界にあるすべてのものを神様がお造りになられたという話をしているので、何かのきっかけがあって急に疑問がわいたのでしょう。私が、「神様は誰からもつくられていないの。はじめからおられたんだよ」と答えました。「ふーん。」と少し納得したのか良く分からなかったのですが、しばらくしてまた別の質問をしてきました。指を上にあげて「これの上には何があるの?」というのです。私は、「車の屋根? 屋根のこと? 屋根の上には何にも載ってないよ」と答えますと、「違う、あれ!」と空を指差すのです。「ああ、空? 空の上のこと? 空の上には宇宙が広がっているの」と教えます。そうすると「宇宙って何?」と聞いてきます。そこで、私は何と答えたのかというと、「ほら、この間、お父さんが見ていた映画、スターウォーズの世界だよ」と答えてしまったのです。我ながら、後々になっても後悔しているんですが、空のうえには「天があって神様がおられるところ」と答えればよかったのに、私ときたらよりによってスターウォーズはないだろうと・・・。反省しました。
ここからはいつもの親ばかですけれども、しかし、三歳ですでに時間概念、空間概念の質問ができるとは我が子ながら、天才ではなかろうかと、娘を幼稚園に送ったあとで一人でほくそ笑んでおりました。
この金曜日も東海聖書神学塾で今、説教学を教えているのですが、塾生に説教の導入は大切だと教えているのですけれども、こういう話で説教を始めることが、いったい今日の説教のなにかに役立っているのか私にも少し分からなくなります。
もちろん、小さいながら意図はあるのです。今日のヨハネの福音書は主イエスの祈りです。とても重要なところですので、今週と来週と二回に分けて話をする必要があると思っています。この主イエスの祈りは、ちょっとこの時間概念と空間概念が超越しています。もちろん、ここでそんな何とか概念という難しい話をするつもりもありません。娘の質問にあった神様が世界を創られた以前のことや、あるいは、父がおられるところと、主イエスが今おられるところという意味だけわかっていだければそれで充分です。
これは主イエスの祈りです。まさに父なる神と、御子イエスの親しい交わりの姿がここに描き出されています。そこには「わたし」と「あなた」という主イエスの深い父なる神に対する親しい語りかけの言葉だけが記されています。色々なことが語られていますけれども、少し注意深く読んでみますとそれほど難しいことが祈られているわけではありません。主イエスのことを弟子たちはこの祈りの前の部分でついに主イエスを理解して、信じました。けれども、主イエスは今から天に戻られるので、どうか、この弟子たちを守ってやって欲しいということが祈られているのです。 (続きを読む…)
主日主題: 子ども
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: 創世記28章10-15節
説教:「石の枕で」 鴨下直樹牧師
聖餐式
午後:役員会
主日主題: 主の守り
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書17章6-19節
説教:「悪い者から守られ」 鴨下直樹牧師
午後:臨時教会総会、月間予定確認会・礼拝準備会、聖歌隊練習、手話講座
主日主題: 召天者記念
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書17章6-19節
説教:「主のみもとに」 鴨下直樹牧師
午後:墓地礼拝
主日主題: 一致
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書17章20-26節
説教:「一つとなる」 鴨下直樹牧師
午後:女性会、大掃除、ツリー飾り付け
主日主題: 愛
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ルカの福音書10章25-37節
説教:「隣人となったのは誰か?」 村上進兄
午後:各部会、聖歌隊練習
2015.11.1
鴨下 直樹
ヤコブは逃げていました。お兄さんのエサウからです。本当はお兄さんのエサウが貰うはずの祝福をヤコブはだまして貰ってしまったのです。お父さんのイサクはもう年寄りで、目が悪くなっていたので、見ても誰が弟で兄なのか分かりません。けれども、兄のエサウは毛むくじゃらで、いつも外で狩りをするような勇士です。一方ヤコブは、肌もツルツルして、今で言えば草食系。目が悪くなければ見間違えるはずなどありません。ところが、ヤコブはお母さんのリベカと相談して、体に動物の毛を張り付けて、ちょっと声も変えながら、お父さんに自分はエサウだと言ってだましたのです。そして、お父さんのイサクから祝福のお祈りをだまし取ったのです。ヤコブは知っていました。祝福のお祈りをしてもらうことが、その後の自分の人生に大きな祝福を実際にもたらすということを。
ヤコブはイサクから祝福のお祈りをしてもらいました。もう祈って貰ったらこっちのものとばかりに、エサウに見つかる前にヤコブは逃げ出したのです。エサウは狩りをする猟師です。とても強い勇士です。祝福を奪い取ったことを兄のエサウが知ったら追いかけて来てやっつけられてしまうに違いありません。ヤコブは、頭は良かったかもしれません、ずる賢かったかもしれません。けれども、決して強くはありません。だから逃げたのです。その日のうちに、できるかぎり遠くに逃げたいと思ったのです。そして、100キロ離れたところまで逃げました。ここまでくれば、もう追いついて来ないだろうと、少しほっとしました。ほっとしたと同時に、走り疲れて眠たくなってきました。旅をするつもりで用意をしてきたはずですから、少しは荷物も持っていたと思うのですが、そこらへんにあった石を枕にして眠ってしまったのです。
ヤコブは昨日まではふかふかのベッドで眠っていました。けれども、祝福のお祈りをしてもらったために、逃げ出さなければならなくなりました。神様の祝福を祈って貰ったばかりだというのに、今、ヤコブは祝福とは程遠いところに置かれています。しかも、疲労困憊で、石を枕にしなければならないというありさまです。この、ヤコブのどこに神に祝福された者の姿を見ることができるでしょう。神の祝福というのは、いったい、どうなることなのでしょうか。
今、ヤコブは100キロも走りとおして、ようやくほっとして今日の野宿です。そして、石を枕にしながら、明日はどうするのかとの思い悩みを後回しにして、眠りにつくのです。しかし、まさに、この石を枕にして寝ているこの瞬間こそが、ヤコブにとっての人生のターニングポイントになるのでした。 (続きを読む…)
いつも教会の各子どもと親の集いに参加くださり、とても嬉しいです。
皆様との出会いを心から感謝しています。
さて日本では、子どもたちのすこやかな成長を願う、宮参りや七五三等の慣習がありますが、教会では毎年、全年齢の子どもたちの人生の上に、唯一の天地創造の神様からの祝福を祈るという習慣があります。
毎年11月頃の日曜日、子ども祝福式を礼拝の中で行っており、特に子ども達の健やかな成長と、救い主イエス・キリストの豊かな祝福をお祈りします。
プログラムは、礼拝式に加え、こども賛美歌、聖書のお話、子ども達の祝福の祈り
などがあります。(お祈りの後に、素敵なプレゼントもあります。)
ぜひ、ご家族の年間の行事に加えていただいて、共にお祈りできたら幸いです。
聖書のことば 主イエスキリストのことば
「子どもたちを、わたしのところへ来させなさい。
止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。」
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子ども祝福式のご案内 11月1日(日) 朝10時半~12時頃まで 会場:芥見キリスト教会礼拝堂にて |
担当:鴨下愛まで
携帯:090-1824-4334/教会電話:058-243-5798
こちらのメールフォームからもお申込みができます。通信欄に「子ども祝福式申し込み」と明記の上、お子様のお名前と年齢をご記入ください。
人とは何者なのでしょう
人はどこに向かっているのでしょう
本当に大切なものは何でしょう
講師:安村仁志氏(中京大学学長)
日時:2015年11月14日(土)午後2時30分~4時
会場:同盟福音 芥見キリスト教会
入場無料・申し込み不要。どなたでもおいでください。
2015年 冬
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クリスマスキャンドルサービス
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