2023 年 12 月 31 日

・説教 コリント人への手紙第一 16章14節「愛すること覚える一年」

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2023.12.31

鴨下直樹

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「一切のことを、愛をもって行いなさい。」 

コリント人への手紙第一16章14節

 パウロのコリントに宛てた手紙の最後に記した結びの言葉と言ってもいいのが、この言葉です。これは、2024年のローズンゲンによる年間聖句です。

 「一切のことを、愛をもって行いなさい。」とパウロはここで語っています。パウロがコリントの教会に宛てた手紙の最後で、どうしてもこの言葉でまとめたかった言葉、そう言っていいと思います。

 芥見に来てから、かなり丁寧に聖書の講解をしていますが、まだコリント人への手紙は取り扱っていません。このコリントの教会はかなり問題を抱えていた教会だったと言えます。少しこの手紙に何が書かれているか、概略をお話しすると、このコリントの教会がどれほどの問題を抱えていた教会だったかということが見えてきます。

 まず、この手紙の第1章には、争い、仲間割れがあり、自分たちの知恵を誇ったとあります。2章では成熟していない人々だったと記されています。3章ではこの教会の人々は、肉に属する人々とあり、4章では自分を誇り、人を見下していると書かれています。5章では教会の人々の中にみだらな行いがあり、6章では仲間と言い争い、仲裁できずに裁判に訴えることが問題とされています。7章では、結婚関係に問題を抱えていることが挙げられ、8章では偶像に捧げた肉のことで争いがあったことが記されています。

 ここ迄でまだ半分ですが、もうこれ以上あげなくてもいいかもしれません。どうでしょうか。ちょっとこんな教会の牧師になるのは嫌だなと、思ってしまいたくなるほどの問題の数々です。これらの内容から分かるのは、コリントの教会の人々は、キリストの福音に触れているはずなのに、その福音がなんら生活に影響を与えていなかったと言えるのかもしれません。

 福音が分かっているはずなのに、分かっていないのです。

 昔、東京の銀座教会で牧師をしていた渡辺善太牧師が、『わかって、わからないキリスト教』というタイトルの説教集を出されたことがあります。

 その説教の中で、キリスト者が信仰に進むためには、必ずと言っていいほどの三つの段階があると言っています。まず第一段階は「わかったゾ」という段階です。信仰に至るには皆それぞれ違いがありますが、「わかった」という時には、神がこの天地を創造された方であることがわかる。自分が罪人だということがわかる、そう言って洗礼に進んでいくと言います。

 次の第二段階は「わかって、わからない」という段階が来ると言います。そこでいろんな方の証を聞いてみると、自分にはあまり神様が働いているように感じない、神の力があまり感じられないことに気づくわけです。そうなると、自分の信仰はどこかおかしいのではないかと疑問を抱くようになります。あるいは、教会に来て、一年なり二年なり経つようになるとだんだんと他の人のイヤな部分が見えるようになってくる。そこで、わかったはずなのに、わからないという部分が出てくるために、迷いが生じるようになるというのです。

 そして、そこから抜け出すためには、主イエスに従っていくことを主イエスが求めておられることに目を向けるようなっていく必要があることを語っています。そうして、このお方、主イエスに自分をかけること、頭だけの理解だけではなくて、自分が、み言葉に生きることが、必要なのだということに気づくようになると言っています。

 そして、三段階目として「わかって、わかった」という部分にたどり着くわけです。この三段階目に来て、「信仰は何でなくて、何か」ということがわかるようになると言います。「何でない」というのは、たとえば「律法ではない」とか、「戒めではない」ということが分かってくる。福音に生きるということがわかるようになるというのです。そうなると、それまで「点」で理解していた信仰が「線」で繋がるようなって、信仰が動き出すようになるというのです。道筋が見えるようになるというのです。 (続きを読む…)

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