・説教 ローマ人への手紙10章14-21節「福音宣教」

2022.03.13

鴨下直樹

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 聖書を読む。これは、クリスチャンである私たちがとても大切にしていることです。聖書を通してしか、神様のことが分かりません。そして、聖書には、私たちがどう考えていけばいいのか、私たちの生きる意味や、判断の仕方、目標、大切なことがここに記されています。

 今、私たちが耳を傾けているローマ人への手紙の9章から11章まででは、ユダヤ人は救いにあずかることができるのかどうか、というテーマをパウロは語っています。今日のところは、ユダヤ人は聖書を読んできたのに、どうして救われないのかという問いに答えているところです。これは、聖書を大切にしている私たちにとって、素通りすることのできないテーマです。

 ユダヤ人は、子どもの頃から聖書を暗記するように教えられている民族で、聖書と共に歩んできた民と言ってもいいと思います。もちろん、そこでいう聖書というのは旧約聖書のことです。特に、モーセ五書と呼ばれる、神から与えられた律法、神の戒めを記している箇所などは、ことさらに大切にしてきたのです。それなのに、なぜユダヤ人は救われないのか。これは、とても大切なテーマです。

 今日の私たちクリスチャンとは、比べものにならないほど、聖書を大切にし、聖書に親しんできたのが、ユダヤ人です。それなのに、私たちは救われて、聖書を誰よりも熱心に読んできたイスラエルの民が、救われないのだとしたら、いったい自分たちが大切にしてきた聖書とは何か。せっかく時間をかけて読んできても何の役にも立たないもの、ということになる可能性もあるのです。

 それで、パウロはここで、信じるために必要なものは何かということを、語ります。あまりまわりくどい言い方はしないで、信じるために必要なのは、まず「聞く」こと。聞かなければ信じられないと言います。けれども、その福音を「聞く」ためには、「宣べ伝える人」が必要で、宣べ伝えるためには「遣わされる」ということが不可欠だということを順に語っています。

 神様のことを伝える、神から遣わされた「メッセンジャー」が必要なのです。

 今、私たちは大きな戦争のニュースを毎日耳にしています。そこで驚くのは、ロシアの人たちは、隣の国でロシアの軍隊が行っていることを知らないということです。それを聞くと愕然とします。若い、20代、30代の人たちはインターネットで世界中と繋がることができますから、何が今行われているのかよく知っています。けれども、高齢者になるほど、テレビのニュースしか耳に入って来ないので、隣の国で何が行われているのか知らないのです。プーチンの支持率は71パーセントに増えたというニュースが先日報道されたばかりです。もちろん、このニュースも本当なのかどうかさえ分かりません。ただ、そこで私たちが驚くのは、「事実を知ることができない」、大切な知らせを伝える「メッセンジャー」がいないとどうなるのかという恐ろしさです。

 ロシアの外務大臣は「戦争をしていない」とさえ発言しました。あるロシア人は、「ウクライナ人が、自分たちで自分たちの町を破壊している」と言って世界を驚かせました。正しいことを知らせるメッセンジャーがいないのです。

 伝える人がいなければ、信じることができないというこのパウロの言葉は、メッセンジャーの存在の大切さを私たちに改めて思い起こさせます。しかし、一体誰が、その知らせを、メッセージを届けるのでしょうか。一体誰が、メッセンジャーを遣わすのでしょうか。

 旧約聖書は、この神から遣わされたメッセンジャーのことを「預言者」と言いました。神の言葉を預けられて、届ける役目です。

 「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」とパウロはイザヤ書の52章から引用して語りました。

 ここでパウロはメッセンジャーの「足」のことを「美しい」と語ります。大事なのは、顔でも口でも、声でもなくて、「足」だというのです。そこで意図されているのはその預言者の背後にある「遣わす者」の存在です。

 伝えている人の口や声が美しいというのではなくて、その「足」に目を向けさせるのです。イザヤ書40章の9節では、

シオンに良い知らせを伝える者よ、
高い山に登れ

と記されています。

 この言葉の背後には、バビロンによる捕囚が終わりを迎えるという知らせをエルサレムに届けるために、山を越えて、シリアの砂漠と野原を超えて知らせを届けることを語っています。イザヤ書52章の7節にはこういう言葉があります。

良い知らせを伝える人の足は、
山々の上にあって、
なんと美しいことか。
平和を告げ知らせ、
幸いな良い知らせを伝え、
救いを告げ知らせ、
「あなたの神は王であられる」と
シオンに言う人の足は。

 パウロの言葉はここからの引用だということが分かります。伝えるメッセージは、「あなたの神は王であられる」というメッセージなのです。その知らせを伝えるために、バビロンから山を越え、砂漠を超えて、救いの言葉を人々に届ける。そのメッセンジャーの足は美しいというのです。

 それは、このバビロン捕囚というイスラエルの民にとって絶望的な状況にあって、「神が王となられる」というメッセージ、バビロン捕囚が終わるというメッセージを早く伝えたくて、必死に走って来た足なのです。その知らせの、福音の内容のすばらしさを届けたいという、その預言者の持っているメッセ―ジの力に目をとめさせるのです。

 そのような力強いメッセージが届けられたとしても、肝心なことは、そのメッセージを「信じる」ということが必要です。「聞いて、受け入れる」ということがなければ、そのメッセージは意味をなさないのです。 続きを読む ・説教 ローマ人への手紙10章14-21節「福音宣教」

・説教 ローマ人への手紙10章1-13節「イエスを主と告白する」

2022.03.06

鴨下直樹

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 先週行われた教団役員会で、開会説教をされた先生が「グレート・リセット」という言葉を紹介されました。私はこの言葉を知らなかったのですが、少し気になって調べてみました。この言葉が最近になって使われるようになったのは、2021年、世界経済フォーラムが開催するダボス会議のテーマとして「グレート・リセット」が取り上げらたからでした。この「グレート・リセット」というのは、今あるシステム、金融システム、社会経済システムなど、これらのシステムは第二次世界大戦の後に作られたものが多いのですが、これらのシステムをいったん全部リセットして、もう一度やり直そうという考え方です。特に、コロナになって、社会はこのままでは難しいという中で、新しい枠組みを作りなおそうということを考え始めている人たちが出てきているようです。

 私がこどもの頃、当時ファミリーコンピューターというテレビゲームがはやり出しました。このゲーム機には手前に、赤い「リセットボタン」というのが付いていまして、ゲームがうまく進められないと、「リセットボタン」を押して、ゲームを全部最初からやり直すということができました。ゲームがうまくいかないと、何度もこのリセットボタンを押してやり直したものです。

 考え方はこれと同じです。今の社会のシステムがうまくいかなくなったので、一度リセットボタンを押して、全部最初からやり直そうという考えを持つ人たちが出てきたのです。

 そういう世界のシステムをもう一度やり直そうという考え方は、以前からありましたし、このコロナや、ロシアがウクライナに対して始めた今回の戦争で、ますますそういう流れは進んで行くということが考えられます。

 今日の聖書の中に、「律法の目指すものはキリストです」という言葉があります。「この目指すもの」という言葉には、「目標」という意味と、「ゴール」という意味があります。神が、私たちに与えた律法、神の戒めは、キリストに向かっている、キリストによって完成するということです。

 これは、神の言葉は、キリストによって完成すると言い換えることもできると思います。目標をどこに置いているのか、そのゴールはどこか。そのことを見誤ってはならないのです。

 神の願っておられること、その中には当然経済も、政治も、教育も、そのすべてが含まれているはずです。そして、それらの目指すものは一体どこにあるのでしょうか。一部の人の利益につながるものだとすれば、それは争いの源となってしまいます。
 ここで、パウロは祈りをささげています。1節です。

兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。

 ここで、パウロはまず「兄弟たちよ」と語りかけました。あなたがたは私の側にいる友だ、仲間だ、家族の一員なのだ。そのローマに住む、まだ見ぬ家族に対してパウロは願っていることがあるというのです。それは、ユダヤ人たちが救われること。これが、私の心のからの願い、祈りなのですとパウロは語り出すのです。 続きを読む ・説教 ローマ人への手紙10章1-13節「イエスを主と告白する」

今月の礼拝予定(2022年3月)

3月6日 受難節第1主日

主日主題: 信仰告白
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「バルテマイ」可児宏子
聖書: ローマ人への手紙10章1-13節
説教:「イエスを主と告白する」鴨下直樹牧師

礼拝後:役員会/誕生月の方への祈り

3月13日 受難節第2主日

主日主題: 福音宣教
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「ザアカイ」山田茜
聖書: ローマ人への手紙10章14-21節
説教:「福音宣教」鴨下直樹牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会

3月20日 受難節第3主日

主日主題: 教会
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「宮きよめ」鴨下愛
聖書: ルカの福音書18章1-8節
説教:「私たちの祈りを聴く神」井上正彦師

3月27日 受難節第4主日

主日主題: 恵みの選び
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「弟子の足を洗う」河合和世
聖書: ローマ人への手紙11章1-12節
説教:「恵みの選び」鴨下直樹牧師

礼拝後:教団三月総会

・説教 ローマ人への手紙9章24-33節「私たちを造られた主」

2022.02.27

鴨下直樹

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 東海聖書神学塾が、すでに牧師となった人のための継続教育のための場としてアドヴァンスコースという学びを主催しているのですが、私は昨年の4月から、今年の3月までの一年間、この講師として教えることになっています。

 今は8名ほどの牧師たちが、この講座を受けておられます。そこで、牧師たちと一緒に、説教について一緒に学んでいるのですが、先週の月曜日のことです。

 この月一回の月曜のアドヴァンスコースの昼休みの時間に一人の牧師がこんな話をしました。教会に来られる方は、一週間仕事で疲れて教会にやって来る。多くの人たちが聞きたいと思っているメッセージは、信仰を持って歩んで行けば、神様が支えてくださってうまくいくから安心しなさいというメッセージだと言うのです。でも、そんな安易なことを聖書は語っていないわけで、教会の人が聞きたいと願っていることとは違うことを語らざるを得ない。そこに葛藤があるという話をしました。

 そうすると、そこにいる牧師たちが「分かる―その気持ち」と何人かの牧師たちがその葛藤について話しておられました。
「あなたのやっていること、考えていることで間違いない。神様はあなたの思う様にしてくださる」そういうメッセージをみな聞きたがっていると言うのです。

 みなさんも、この話に同意されるかもしれません。如何でしょうか。

 そういうことでいえば、パウロの手紙ももっと簡単な手紙ですんだのかもしれません。ユダヤ人も救われるし、異邦人もみんなまとめて救っていただけるから、安心してくださいと書くことができれば、こんなに回りくどい手紙は必要ないのです。

 今日、私たちに与えられている聖書は、さまざまな旧約聖書からの引用がなされているところです。この9章で、パウロは創世記から、アブラハムのこと、またその子孫であるヤコブとエサウのことを語ってきました。今度は、ホセア書とイザヤ書を引用しています。

 旧約聖書全体で語っている内容が、イスラエル人だというそれだけの理由で神の選びの民になるわけではないのだと知らせていることを論証しようとしているのです。

 こういういろんなところから、み言葉を取り出してくるというのは、やはり思い違いをしてはいけないので、わざわざ、いろんな箇所からみ言葉を持って来て、あそこにもこう書いてある、ここにもこう書いてあると論証しようということです。

 残念なことですが、なかなか単純な話には、ならないのです。

 今日は、9章24節からはじめました。前回の聖書箇所の最後の部分です。パウロは陶器師の話をしながら、陶器師である神は、自分の作る陶器を、特別なことのために使う陶器にも、普段使いのための陶器にも用いることができ、あまり出来が良くないので壊してしまうこともできる陶器をも、その愛といつくしみのゆえに、壊すことをしないで、大事にしてくださる。それが、あわれみ深い神のなさり方だと語りました。

 その神のあわれみのお姿を、今度はホセア書を引用しながら、語ろうというのです。

 ホセア書というのは、旧約聖書の最後に収められている12ある小預言書のはじめの書です。「ホセア」というのは「救わせた」という意味の名前です。

 このホセアは預言者として、北イスラエルの末期の時代に活躍した預言者です。ホセアは、主から姦淫の女ゴメルを妻に娶るように命じられます。かなり衝撃的なことです。姦淫の女を妻にしろと言うのです。この妻から3人の子どもをもうけます。一人目は「イズレエル」です。日本語の響きからしても「いずれ何かを得る?」という気がしますが、イズレエルというのは地名です。しかも、この後滅ぶことになる北イスラエルの地名を子どもの名前にするように言われるわけで、こうなると「いずれ得る」どころか、もう可能性がないという意味になってしまいます。

 その次に女の子が生まれます。この子ども名前は「ロ・ルハマ」という名前にするよう言われます。今度はなかなか可愛い名前の響きですが、意味は「ルハマ」というのは2章1節にあるように「あわれまれる者」という意味です。その前に「ロ」という言葉がつきます。この「ロ」というのは「否定」という意味で、「あわれまれない者」という意味になります。神にあわれまれることのない者という名前を子どもにつけるというのも、親からすればかなり残念なことです。けれども、ホセアは主の言われるままに、名前をつけます。

 その次にまた男の子が生まれます。今度の子どもは「ロ・アンミ」という名前です。「アンミ」は「わが民、わが身内」という意味ですから、ロがつくと「我が民ではない」「わが身内ではない」という意味になります。

 主は預言者ホセアに自分の子どもにこういう名前をつけることによって、神に背を向け続ける北イスラエルに対して、あなたがたは「あわれまれない者」、「わが民ではない」と呼ばれるということを語らせたのです。 続きを読む ・説教 ローマ人への手紙9章24-33節「私たちを造られた主」

・説教 ローマ人への手紙9章14-24節「あわれみの神」

2022.02.20

鴨下直樹

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 今、ローマ人への手紙を順番に説いていく、いわゆる講解説教をしています。そこで、難しいのは、ずっと順番に話を進めていくわけですが、毎回どこかで話を区切らなくてはなりません。時間の関係もありますので、一度の説教で扱える分量を考えながら、切り分けていきます。けれども、そうしますと、魚の切り身でもそうですが、その切り取った部分だけを見ていると、それがどんな魚の、どの部分なのかということが分からなくなってしまうということが起こります。

 しかも、文章の全体で何を言っているのか分かるというものを細かく細かく切り分けてしまうと、いったいこの話はこの前はどんな話で、この後どう繋がるのかということも見えません。

 私も含めて、みなさんもそうだと思うのですが、前回の説教をちゃんと覚えている方はそれほど多くはない気がします。しかも、もう30回以上ローマ書を説いているわけですから、最初の頃のことなど、もうすっかり忘れてしまうというのが普通です。

 全体の話の流れから外れないように意識しながら、毎回短い箇所を選んで、パウロの話の進め方を思い起こしながら、今日の箇所では何が語られているかと分かるようにするというのは、なかなか至難の業と言えます。

 パウロはここで、神に対して不服従であるユダヤ人たちのことを、神はどう見ておられるのか、ユダヤ人は救われるのかどうかということを、語っています。その時に忘れてはならないのは、「人は信仰によって義と認められる」というこの手紙のパウロの主張する中心的な内容と、信仰があるようには思えないユダヤ人のことを、神は選んでいるというが、それは一体どういうことかという、この二つの理屈をここで解き明かそうとしているということです。

 そこで、ユダヤ人、アブラハムの子孫であるというだけで良いのかという問題に対して、神は自動的にオールOKにしているわけではありませんよということを、まず語っています。神からの約束が神の民には与えられています。この神の約束を受け取るという「信仰」の部分があるということをまず解き明かしているのです。

 そうすると次の問題が出てきます。神様は「ヤコブを愛し、エサウを憎んだ」という部分が記されているのです。「神の選びには選ぶ神の側に主権というものがあります」ということを、この前のところでは語ったのです。ここまでが前回までの確認です。

 その続きが今日のテーマになるわけですが14節でこう言っています。

それでは、どのように言うべきでしょうか。神に不正があるのでしょうか。決してそんなことはありません。

 簡単に言うと、「えこひいきがあるのではないか?」ということです。ヤコブのことを愛して、エサウは憎まれる。これは、旧約聖書を読むと、同じテーマが繰り返されます。アダムとエバの子であるカインとアベルからはじまります。イスラエルの十二人の息子、父親のヤコブ、あとで名前がイスラエルと変わりますが、イスラエルも、ヨセフという末の息子を可愛がりました。ここは不思議なことですけれども、神はこのヨセフをお用いになりますが、神が選ばれたのはヨセフや12番目の息子ベニヤミンではなくて、ユダだったわけです。

 こういう神のえこひいきとしか言えないような一方的な神の主権による選びのことを、この14節では「不正」と言っているわけです。選ぶ神の側に「不正があるのではないか?」と考える人があるかもしれない、それに対して答えようというのです。

 それに対して、パウロはモーセに対して語られた言葉を引用して答えます。15節です。

神はモーセに言われました。「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ。」

 この引用を読むと、パウロは14節で「決してそんなことはありません」と答えていますが、この答えを聞くと「あれ?これ、えこひいきはあるってことだよね?」ということになるのではないかと思います。 続きを読む ・説教 ローマ人への手紙9章14-24節「あわれみの神」

・説教 ローマ人への手紙9章6-13節「私たちのための神の計画」

2022.02.13

鴨下直樹

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 今日は、いつもと礼拝の様子がかなり違っています。いつもですと、目の前にみなさんが座っていて、皆さんの顔を見ながら説教をするのですが、今日は私の目の前に誰もいません。

 今回、急遽この礼拝をオンラインだけで行うということにしました。詳しいことはお話しませんけれども、新型コロナウィルスの影響で、今日はそうした方がよいと判断したからです。

 昨日の時点でそう決めておりました。いつも礼拝堂に来られている方は、自分の部屋でモニターを見ながらする礼拝というのに違和感を覚える方もあるかもしれません。あるいは、いつもオンラインの礼拝の参加の方は、zoomの画面に沢山の顔が並んでいるのを嬉しく思われるかもしれません。

 ただ、不思議なものですけれども、昨日今日の礼拝の準備をしながら、誰も教会に来ないのかと思うと、説教の準備になかなか力が入りません。説教を聞く、みなさんの顔を思い浮かべることができないというのは、こういうことなのかと、今さらながら感じています。

 パウロはこの手紙を書くのに、手紙を受け取る人たちの顔を知らないで書いているはずです。そう思うと、私も変な言い訳はできないなと思います。誰が聞いているかも、分からないのに、これだけの内容の手紙を書くことができるというのは、改めて凄いことだと感心します。

 特に、この9章から11章というのは、ユダヤ人たちの救いについて語っているところです。ローマの人たちにあてた手紙で、パウロが自分の同胞であるユダヤ人たちも、神から忘れられているわけではないと語る。どんな思いだったのだろうと考えます。ローマの人たちがどんな顔をして聞くことを想像したのだろうかと思うのです。

 8章までで、パウロは情熱的な思いで神の愛について高らかに宣言しました。この神の愛は、ユダヤ人に対しても、今も向けられ続けているのだということを知らせたい思いがあるのです。それを聞いたローマの人がどう思うかということよりも、神がどのようなお方であるのかを伝えることの方を、重要視したのではないか、と個人的に思います。神は、不従順なユダヤ人であっても捨てられる事はないのだと伝えることが、結果的に神を信じるということの意味を明らかにするからです。

 パウロはここでこれまでユダヤ人と書いてきた言葉を、この9章に入って「イスラエル」と言い換えています。イスラエルというのは、バビロン捕囚までの神の民を指します。捕囚の後は、捕囚の前にすでに北イスラエルと南ユダに分かれますが、帰還の後は北イスラエルは神の歴史からは姿を消していきます。そこからはもっぱらユダヤ人という言い方がなされます。けれども、パウロはここで、わざわざ「イスラエル」という言葉を使って、神の約束の民のことを、もう一度語ろうとしているのです。

 そこでまず、パウロは、「神のことばは無効になったわけではありません」と6節で語っています。神に対して不従順であったイスラエルに与えた約束を、神は無効にしたわけではないのだというのです。

 その後に続く言葉が「イスラエルから出た者がみな、イスラエルではないからです」と記されているのです。

 パウロがここで語ろうとしているのは、少し説明するのに苦しいところがあります。一方で、イスラエルは神の約束の民なので、イスラエルは神の救いにあずかるということを語りたいわけです。けれども、パウロは先の4章でも語っていますが、アブラハムの子孫だからという理由で救われるのではなくて、「信仰による義」と語っています。 続きを読む ・説教 ローマ人への手紙9章6-13節「私たちのための神の計画」

・説教 ローマ人への手紙9章1-5節「大きな悲しみと痛みを越えて」

2022.02.06

鴨下直樹

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 ローマ人への手紙も、今日から9章に入ります。この9章から、また新しいテーマで語られています。

 パウロはこの前のところで、神の愛を高らかに宣言しました。神の愛は、主イエスを信じて神の子どもとされ、義と認められた者を絶対に見捨てることはない。これが、神の愛の姿です。パウロが語る福音です。主イエスに贖われ神のものとされている人たちは、神に見捨てられることはない。これが8章の終わりでパウロが語ったことでした。

 ただ、パウロには大きな悲しみがありました。パウロはこの8章の最後の言葉を、痛みを抱えながら宣言したのです。というのは、神の民であるイスラエルのことを、ユダヤ人たちのことを、当然考えなければならないからです。

 パウロは異邦人に福音を語るように神から召しを受けました。パウロはもともと、ユダヤ人です。そして、キリスト者たちを迫害するほど、ユダヤ人たちが律法を大切にして生きるその生き方に誇りを覚えていた者の一人です。そのパウロは、主イエスと出会い、神の御心を知ります。神は、ユダヤ人だけでなく、すべての人を救いたいと願っておられることを知ったのです。そして、そのために神は、御子主イエス・キリストをこの世に遣わし、十字架につけ、よみがえらせたことを知りました。それで、パウロは異邦人たちに、ユダヤ人を苦しめているローマの人々にさえ、福音を届けて、主イエスを信じるようになって欲しいと願う様になりました。パウロは回心した後、三度にわたって伝道旅行をします。パウロの伝道は成功して各地に教会が生まれます。異邦人たちがどんどん救われる姿をパウロは見て来たのです。

 そのようにして福音がローマにまで届けられて、ローマに教会が誕生します。そのローマの人々に、パウロはこの手紙を通して神の愛を高らかに宣言しました。神は、あなたがたを決して見捨てるようなことはなさらない。神は、あなたがたの味方。どんなことが起ころうとも、神の愛から引き離されることはないと。

 そうすると、その言葉はまるでブーメランのように自分自身に跳ね返ってきます。その言葉は本当か?パウロの同胞であるユダヤ人を見て、本当にそんなことが宣言できるか? 不信仰なユダヤ人、不従順なユダヤ人は神から見捨てられ、バビロンに支配され、アッシリアに侵略され、ギリシャ、ローマに支配されてしまっているのではないか。今や、神の約束の地であるイスラエルの土地すらも、ローマの支配のもとにあり、エルサレムにある教会もローマの顔色を窺っているのではないのか。そんな中で本当に、神はあなたがたを見捨てない、絶対大丈夫なんてことを言えるのか。言って大丈夫なのか。

 神の愛の宣言は、ユダヤ人にとっては痛みを伴う言葉でしかないのです。

 パウロはこのローマ人への手紙の9章から11章までの3章で、ひたすらこのテーマを扱います。テーマは、神の愛は、不従順な者でも本当に見捨てることはないのか、です。神はイスラエル人をどうなさるのか。それが、この3章のパウロのテーマです。

 この9章から11章までは、言ってみればこのローマ書の中で話がそれた、いわゆる脱線したテーマの話といえるかもしれません。ユダヤ人の救いというテーマはローマの人たちが聞きたかったテーマではないともいえます。けれども、この3章で扱っているテーマは、私たちにとっては、すぐに神の御心から離れてしまう弱さを持つ私たちにとっては、必要不可欠な箇所ということができます。

私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

 1節と2節でパウロはこのように語っています。

 パウロはずっとこの悲しみを抱えながら伝道してきたのです。自分の伝道で異邦人が救われていく度に、なぜ自分の同胞であるイスラエル人は回心しないのか。そういう悲しみです。

 この悲しみと同じ思いを多くの親は経験します。自分の子どもがどうして信仰に生きようとしないのか。子どもの頃は教会に行っていたのに。一緒に聖書を読み、お祈りもしたのに。今はまるで教会に行こうともしないし、聖書を開きもしない。息子は、娘は、夫は、妻はこの先どうなるのか。私の兄弟は、家族は、友達はどうなのか。

 不従順に対して、私たちはどう考え、どう祈り備えるのか。パウロと同じように、私たちも言うのです。

私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

 この痛みを知らない者はおそらくいないでしょう。愛を抱くものは、私たちの愛する家族が、愛する者が、神に対して不服従であることを、自らの痛みとするのではないでしょうか。 続きを読む ・説教 ローマ人への手紙9章1-5節「大きな悲しみと痛みを越えて」

今月の礼拝予定(2022年2月)

2月6日 降誕節第七主日

主日主題: 慰め
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙9章1-5節
説教:「大きな悲しみと痛みを越えて」鴨下直樹牧師

礼拝後:総会資料質問受付/役員会

2月13日 降誕節第八主日

主日主題: 神の計画
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙9章6-13節
説教:「私たちのための神の計画」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り/総会財務資料質問受付

2月20日 降誕節第九主日

主日主題: 憐み
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙9章14-24節
説教:「あわれみの神」鴨下直樹牧師

礼拝後:教会通常総会

2月27日 降誕節第十主日

主日主題: 創造の神
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙9章24-33節
説教:「私たちを造られた主」鴨下直樹牧師