2016 年 12 月 11 日

・説教 詩篇85篇「恵みとまことは互いに出会い」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 15:54

 

2016.12.11

鴨下 直樹

 
 「思ってたんとちがう」朝のNHKの子ども番組の時間にそんなコーナーがありました。ふだんあたりまえに思い込んでいるものが、全然違うものだったという短いコーナーの映像番組です。薬だと思ってみていたら実はネジだったとか、そんな映像です。私たちの生活にも、時々そういったことが起こります。おいしそうだと思って買ったケーキが、思っていたほどではなかった。そんな程度のことは毎日のことなのかもしれません。けれども、もっと大切なこと、たとえば会社に勤めるとか、あるいは、結婚するというようなことになると、まぁ思っていたのと違うけれども仕方がないとはいきません。それで、そういう人選の大事な選択をする場合には、よく見極めて、よく考えて、ある程度大丈夫かどうかを知りたいと思うわけです。

 今日の詩篇の背景にはバビロン捕囚の帰還というこれまで、ここでも何度もお話して来た背景があります。バビロン帝国に支配されながら、新しくペルシャの王になったキュロスという王さまは、イスラエルの民が自分たちの母国に帰ることを許可します。それで、イスラエルの人々はこの神様の取り扱いに、非常に喜んで希望をもって故郷に帰ってきたのです。

 この詩篇の冒頭の1節から3節にはそのこと記されています。

主よ。あなたは御国に恵みを施し、ヤコブの捕らわれ人を、お返しになりました。

と1節にあります。ヤコブの捕らわれ人というのは、イスラエル人たちのことです。こうして、自分たちの国に帰って来た。それは、本当に大きな喜びと希望を胸に抱えてのことだったと思います。2節にこう続きます。

あなたは、み民の咎を赦し、彼らをすべての罪を、おおわれました。

ここに、主の行われた救いの御業が語られています。主はこれまで神に逆らい続け、ついには神に裁かれてバビロンの手に落ちてしまったイスラエルの罪をお許しくださったとあります。特に、興味深いのはこの2節の後半に記されている「彼らのすべての罪を、おおわれました」という言葉です。この「覆う」という言葉はカバーするという言葉です。
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2016 年 12 月 4 日

・説教 詩篇96篇「確かに主は来られる」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 18:02

 

2016.12.4

鴨下 直樹

 
 先週、私たちの教団の総会が行われました。今回の教団総会で話し合われたのは、教団のシステムの見直しについてです。これまで、私たちの同盟福音キリスト教会が60年間にわたって同じ規則のもとで宣教をし続けて来ました。けれども、教会の数が少なかった時にはうまく機能していても、時間の流れにより教会数の増加に伴って同じ規則で進み続けることは難しくなってきてしまいました。ご存知のように、私たちの教会は包括法人という形態をとっています。多くの教会のように、それぞれの教会が宗教法人格を持っている独立した教会ではなく、私たちは26の教会で一つの教会であるという考え方をしています。これは、私たちの教会の特徴ともいえるのですが、みんなでとにかく協力して支えあっていく教会ということが強調されてきたわけです。そのために、新しい開拓教会がはじまれば、教団の教会全体でトラクト配布の応援に行ったり、あるいは、どこかの教会が経済的に厳しくなれば、まわりの教会が援助するという形で、教会形成がなされてきました。そのためには、共通の教会理解が必要ですし、他の教会とともに成長していくということが念頭におかれていました。それは、本当に素晴らしい考え方ですし、これからも、その良い部分は残し続けていきたいと考えています。

 けれども、時代が進むとともに大きな組織は小回りが利かず、何か小さな問題が起こっても全体で話し合って決めて行かなければなりませんので、小さなことをきめるのにも時間がかかってしまいます。また、ここ数年、それぞれの教会の伝道が難しくなっています。教会に新しい人が繋がりにくくなり、それにともなって財政的に厳しい教会も少なくありません。

 ではどうすればいいかということになるわけですが、これは、それぞれの教会が宣教していくという当たり前のことに力を入れることができるようするシステムをもう一度作り直すことが必要です。教団全体行事のために使う時間をできるだけ簡素化して、それぞれの地域にたてられている教会がもう一度積極的に伝道することができるように変わらなければなりません。それで、今回の総会で「宣教ネットワーク制」というシステムに変えていこうということが決められたわけです。そして、近隣の2つ3つくらいの教会で協力しあいながら、それぞれの地域に伝道することができるようにするシステムに変えることが、この総会で決議されました。私たちの芥見教会は、可児教会と群馬県にある下仁田教会とが同じグループということになりました。この三つの教会で人の交流を盛んにしながら、それぞれの教会に集っておられる方々が積極的にその人の賜物や能力を発揮して、伝道のためにお互いにより協力できるようにと願ってのことです。もちろん、これから、どうなるかはまだ誰にも分かりませんが、新しく変えられるシステムに期待しつつ、歩んでいきたいと願います。

 少し前置きが長くなりましたが、この詩篇も、イスラエルがこれから新しい時代に移るところで、主に新しい期待をもって作られた詩篇です。以前詩篇の第98篇から説教をしましたが、今日の詩篇96篇も98篇と非常に内容が似ているところです。70人訳聖書というすでに紀元前二世紀ごろに訳された旧約聖書のギリシャ語翻訳聖書があります。これは、翻訳された旧約聖書の最も古いものとして知られていますが、この聖書は私たちが使っている旧約聖書とは少し異なる部分があります。そのおかげで少しその時代にどう読まれていたかということが分かるわけです。この70人訳聖書の詩篇第96篇には表題が付けられています。そこには、「捕囚の後、家が建てられた時、ダビデの歌」と書かれているのです。つまり、この詩篇はイスラエルの民がバビロン捕囚を経験して、その後、エルサレムに神殿が建てられた時の歌だと説明されているわけです。
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2016 年 11 月 27 日

・説教 詩篇24篇「永遠の戸よあがれ」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 17:11

 

2016.11.27

鴨下 直樹

 
 今週からアドヴェントに入りました。教会の暦で新しい一年を迎えました。そして4週間のちにクリスマスを迎えます。このアドヴェントに神が私たちに主イエスを与えてくださり、私たちのことを顧みてくださっていることを共に覚える時としたいと思います。そしてまた、主は再びこの世においでくださると約束されていますから、このアドヴェントに、もう一度おいでくださり私たちの救いを成し遂げてくださるという希望を心に留めたいと思います。

 アドヴェントに入りますと、毎年、先ほども歌いました讃美歌21の「高く戸をあげよ」という讃美歌を共に歌います。これは、ドイツの讃美歌でも第1番にのっているほど、ドイツのキリスト者たちにとって深く心に刻まれている讃美歌です。この賛美は今朝私たちに与えられている詩篇24篇の後半のみ言葉がそのまま歌詞になっています。このアドヴェントの季節になるとよく歌われる賛美です。しかし、主イエスが来られることを待ち望むこのアドヴェントに、この詩篇第24篇を歌うというのはなぜなのでしょうか。

 この詩篇第24篇はダビデの賛歌という表題が掲げられています。しかし、この詩篇の内容はどうも神殿の礼拝の時に歌われた歌だと考えられます。エルサレムに神殿が作られたのはダビデの息子、ソロモンによって建設されましたから、ダビデのあとの時代です。けれども、この詩篇をダビデの賛歌と言った時に、それはどういう意味なのかという事を考えさせられます。

 ダビデの時代にはまだ礼拝、つまり祭儀は幕屋でおこなわれていたはずです。幕屋というのは、イスラエルの民がエジプトで奴隷だったときに、エジプトから出て、このカナンの国を目指して40年にもおよぶ荒野の旅の時に、神が民への約束として十の戒めを与えられ、この十戒を収めた箱を契約の箱と言いますけれども、この契約の箱を今でいうおみこしのようにしまして、イスラエルの民は常にこの契約の箱を担いで移動して、どこでも祭儀をおこなうことができる移動式の礼拝のための場を設けていました。その中心となったのが、契約の箱です。そして、この契約の箱の置かれた幕屋の一番中心部分を至聖所と呼んで、この契約の箱のあるところに、神が臨在されると、神はイスラエルの民に約束されたのでした。

 そして、ダビデの時に、契約の箱がそれまで別の場所におかれていたのですが、エルサレムに運び込ませます。それが第一歴代誌の第15章に記されています。まだ当時エルサレムには神殿はありませんでしたけれども、このことがこの詩篇の背景にあると言っていいと思います。

 少し、説明が長くなりましたけれども、この詩篇24篇は内容としてはこの契約の箱がエルサレムの神殿に運び込まれる様子を歌った歌だと考えられています。少しこの詩篇に何が書かれているのか見てみたいと思います。
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2016 年 11 月 13 日

・説教 詩篇4篇「安らかな眠りを」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 16:55

 

2016.11.13

鴨下 直樹

 
 今日は召天者記念礼拝です。そのために今朝は遠くからこの礼拝にお集いになられた方もあると思います。私たちの教会では毎年、召天者を覚えて礼拝を行っています。それは、芥見教会の墓地に入っている、いないに関わらず、みなで共に天に召された家族や信仰の友のことを覚えながら、聖書の約束をもう一度思い起こす時だからです。神は、人をどのように扱われるのか。そのことに心をとめ、また主なる神の真実なみわざに心を向けたいと願っています。

 特に、今朝は詩篇の第4篇からみ言葉をともに聞きたいと思っています。少し前にこの礼拝で詩篇の第3篇からすでにみ言葉を聞きました。おそらく、この詩篇第4篇と第3篇は対になっている詩篇だと考えられますので、詩篇第3篇の状況がこの詩篇の背景にあるといえます。伝統的に詩篇第3篇は朝の祈りの詩篇と呼ばれ、この第四篇はゆうべの祈りの詩篇と呼ばれています。と言いますのは、この二つの詩篇には同じような表現が出て来ます。詩篇4篇の8節にある「私は身を横たえ眠ります」という言葉は、3篇の5節にも同じ言葉が書かれています。けれども、3篇は「目をさます」と書かれていますけれども、4篇にはそれがありません。それで、朝の祈りと、ゆうべの祈りと分けられてその特徴を表現しているわけです。

 この詩篇は第3篇にあるように、ダビデの記した詩篇の一つで、しかもダビデの息子であるアブシャロムが父ダビデに反逆を試みまして父ダビデは眠れない夜を過ごした、それが、この詩篇の背景にあります。そして、興味深いことに、この詩篇第4篇は教会の暦では、聖土曜日と言われる主イエスが十字架で殺されて、墓に葬られていた日に読む聖書の箇所になっているのです。夜の眠りということと、死というテーマをこの詩篇は扱っていると教会は理解してきたのです。

 今日の説教題を「安らかな眠りを」としました。私たちが夜眠るときに、本当に平安に眠ることができるというのは、心の底から安心できるという時に、すこやかに眠ることができます。実は、私は昨日、夜中にいやな夢を見て声をあげてしまったようで、朝になって妻に「何か叫んでいたけど」と言われました。夜、安らかな眠りができていないのかななどと改めて考えさせられております。平安に眠れない者が平安な眠りにつて語るということは少し説得力に欠ける気もいたします。しかし、私自身もう一度この詩篇としっかりと向かい合って、安らかな眠りを与えられたいと願っています。そして、また同時に死を迎える時に眠りについたと表現することがありますが、安らかな死というものについても心にとめたいと願っています。

 「安らかな眠り」-私を含め、多くの方は人に口に出しては言わないけれども、様々な苦しみを実は抱えていて、安らかに眠ることができないということがあると思います。この詩篇はそんな人の祈りの言葉だと思って読んでくださってよいと思います。 (続きを読む…)

2016 年 11 月 6 日

・説教 詩篇98篇「新しい歌を主に」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 13:51

 

2016.11.06

鴨下 直樹

 
 先週、私たちの教会では子ども祝福式をいたしました。たくさんの親御さんと子どもたちが礼拝に集い、主の祝福を求めて祈りをいたしました。また礼拝では讃美歌を歌い、み言葉を聞きます。礼拝に初めておいでになられた方にとって、礼拝は新しい経験であったに違いありません。

 今日の聖書のテーマは「新しい歌」です。新しい歌というと、一般的には新曲という意味で理解されることが多いと思います。未発表の曲というような意味です。けれども、聖書がいう新しい歌というのは、そういう意味ではありません。それこそ、今まで歌謡曲しか聞いたことのなかった人にとっては、讃美歌の響きは新しい歌であったのではなかったかと思います。これまで聞いたことのない歌、歌ったことのない歌のことを「新しい歌」というのです。

 昨日、私たちの教会で俳句の会が行われました。俳句も言ってみれば「歌」の一つと言ってもいいと思います。今年の夏から私も心を入れ替えまして何とか句会に参加させていただいています。私としては本当に満足のいく俳句をつくることができずにいるのですが、他の人の俳句を見せていただくととても豊かな俳句と出会わせていただけるので、楽しく参加させていただいています。昨日私が採らせていただいた句は、指導をしていてくださるMさんの俳句です。こんな俳句でした。この俳句には短い小見出しがついていまして、「東日本」となっています。

津波痕背高泡立草咲き過ぎ

 東日本大震災から5年が過ぎました。そのことを詠んだ俳句です。私も直後に救援物資を届けるために現地を訪ねたことがあります。湾岸に沿ってつづく長い道があります。津波の襲った跡と、建物が残された跡の境をまたぐようにして道路が続いているところがあります。その跡地に背高泡立草が咲いている。この季節の花粉症の原因ともなっているようですが、あの黄色の背の高い花で、津波の跡が埋められている。決してその傷跡はこの黄色い花で埋めることはできないのだという悲しみが心に迫って来ました。この傷跡を埋めることができる慰めは果たしてどこにあるのか。そう問いかけているようでもあります。

 歌を歌う。詩を詠む。俳句を詠む。どれをとっても、その詩は自分の心をのせて誰かに届けられていきます。その言葉を聞いて心打たれるのは、その言葉に共感できるからです。その共感は、時に懐かしさを伴い、時に心に秘めた悲しみを言い当てる役割を果たし、あるいは、共に喜びを分かち合ったりもします。歌を歌う。そこには、慰めが伴うのです。 (続きを読む…)

2016 年 10 月 23 日

・説教 詩篇3篇「敵に囲まれていても」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 12:50

 

2016.10.23

鴨下 直樹

 
 この詩篇第三篇には表題がついています。そこには「ダビデの讃歌」と書かれています。詩篇の中にはこのダビデの讃歌という名前のついた詩篇が数多くあります。私たちは、ダビデの讃歌と書かれていると無意識的に「ダビデの書いた讃歌」と理解するのだと思います。ただ、どうもここに書かれているヘブル語はダビデが書いたという意味にもとれるのですが、色々な読み方ができる言葉で書かれています。いつくかの翻訳が可能で、一つは「ダビデ作」という意味です。他にも、「ダビデのための」というようにダビデのために書いた歌という理解もできますし、「ダビデによせて」いう意味でダビデにささげる歌という理解もできます。

 ですから、ダビデの讃歌と書かれている詩篇がすべてダビデが作者であると考える必要はないわけです。先日も俳句の集まりで、芭蕉の記念の大会というものがあるそうですが、芭蕉を忍んで俳句をみんなで作ったとしても、直接には芭蕉とはなんの関係もない俳句が沢山でてきます。そういうふうに考えてくださると、このダビデの讃歌というのも理解していただきやすいのではないかと思います。

 さて、そうはじめに断っておきながらなのですが、この詩篇の3篇は「ダビデがその子アブシャロムから逃れたときの讃歌」という題がつけられています。すでに、詩篇の第1篇と第2篇は説教しましたので、もうそれほど丁寧に繰り返しませんが、詩篇第1篇は詩篇150篇全体の序詩ともいえる全体の方向性を示す詩篇です。第2篇は、というと、この詩篇は五つの巻物になっているわけですが、この第一巻の巻頭詩という性質があります。特に、この詩篇の第一巻というのは、ダビデの詩篇と名の付くものばかりを集めたものです。今日でいえばダビデにまつわる讃美歌集、あるいは祈祷集というと分かりやすいかもしれません。ですから、この第3篇からがダビデの詩篇の特徴がでてくるわけで、いきなりダビデのあまり関係のないものを配置するということは考えにくいわけです。

 少し、この時の出来事を簡単に説明しておきたいと思いますが、ダビデは晩年、自分の息子のアブシャロムがクーデターを起こし、命の危機に直面します。自分の兵士たちはアブシャロムにつき、同じイスラエルの民同士で戦わなければならなくなってしまうのです。そういう実際にダビデの身に起こったことがこの詩篇の背景になっています。

1節と2節にこう書かれています。

主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。多くの者がわたしのたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。

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2016 年 10 月 16 日

・説教 詩篇19篇「天は神の栄光を物語り」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 12:11

 

2016.10.16

鴨下 直樹

 
 今日は午後から私たちの教会の長老であり、前岐阜県美術館の館長をしておられた古川さんを講師に「楽しいキリスト教美術講座」を行います。これは、毎年二回行われております教会の恒例行事になっています。特に今年は来年宗教改革500年を迎えますので、「宗教改革とキリスト教美術」というテーマでお話しくださることになっています。どんな話になるのか今から私もとても楽しみにしています。

 と言いますのは、宗教改革の少し前の時代からルネッサンスと言われる時代に入ります。それまでの中世のキリスト教ローマカトリックでは禁欲主義が支配していました。ですから、キリスト教美術もそれまではあまり積極的な位置を与えられていませんでした。たとえば東方系の教会の伝統としてイコンというのがありますが、イコンは描く構図が最初から決められていますので、作家の特徴を出すなどということは認められていなかったわけです。ところが、このルネッサンス期になりますと、芸術家たちが自分の作品ということを主張するようになります。それまでは絵にサインをするという習慣もさほどありませんでした。しかし、このルネッサンスに入りますとこの絵は誰それの作品ということが言われるようになって、それこそ大きな町の力のある地域では教会の美術にお金をかけるようになっていきます。それまで一般の人は読み書きができませんでしたから、絵で信仰の教育ができると考えられていたからです。

 そうして、その直後に宗教改革が起こります。そして、この宗教改革はキリスト教美術に甚大な影響を与えます。というのは、それまでは、ローマカトリック教会の教えがキリスト教美術の中心だったわけですが、宗教改革以降、美術においてもカトリックの立場の作品と、プロテスタントの信仰の作品とに分かれることになっていくからです。

 今日は、詩篇19篇を取り上げました。この詩篇19篇というのは、それこそ芸術の歴史の中で大きな影響を与えた詩篇の一つと数えることができるかもしれません。たとえばベートーベンの「諸天は神の」という賛美歌があります。この曲は聖歌に入っていましたが、この詩篇をもとにして作られたものです。ほかにも、ハイドンの「天地創造」も詩篇19篇から着想を得てつくられた曲だそうです。

 キリスト教美術はどうかとも思って少し探してみたのですが、私にはあまりみつけられませんでした。というのも一つ理由があるのではないかと私は想像しています。おそらくですが、自然の美しさを描いた神の創造の御業を称える作品を礼拝堂の中でみるという必要がなかったのです。とくに、キリスト教美術が盛んになりだしたルネッサンス以降の時代というのは、産業革命が起こるまでは、まだいたるところに豊かな自然がありました。ですから、わざわざ暗い礼拝堂の中で自然の美しさを描いたものを見せなくても、特にヨーロッパは日曜の礼拝の日は今でもそうですけれども、商店街は休みですから、自然の中にでて散歩をしながら一日を過ごすとう習慣が根付いていますから、そこで豊かな神の被造物を見ながら神を褒めたたえる事ができたわけです。

 前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、この詩篇19篇は、前半部分は壮大な神の天地創造讃歌です。まさに、外に出て、森を行き廻り空を見上げ、星を見つつ、神の創造の御業の素晴らしさをこのように讃えているのです。

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。

と1節から3節まであります。 (続きを読む…)

2016 年 10 月 9 日

・説教 詩篇6篇「主よ、帰って来てください」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 15:40

 

2016.10.09

鴨下 直樹

  
 今日の詩篇は病んでいる人の祈りが記されているところです。病気になるときというのは、それは小さな子どものころからそうですけれども、誰かに心配して欲しいと思うものですし、特別に大事にされるということを求めると思います。少し前も娘が高い熱を出しました。忙しい日だったので、幼稚園にも連れて行けませんので、病院のやっている託児施設というのがありまして、そこに熱が出ている娘を預けました。親としてはなんとなく申し訳ないことをしたという思いがあるものですから、何かプレゼントでもして埋め合わせをしないといけないなどと考えてしまいます。

 病の時、特に入院をしなければならないような事態になりますと、不安が一気に広がります。救急車を呼び、病院に駆けつけ、同時に、教会の人たちに連絡をして、できるかぎり多くの人に祈って欲しいと願うものです。私たちの教会でも私が来てからの間に何人もの方々が入院をされました。先週もGさんのお母さんが手術をされたということでしたが、無事に終わり、回復に向かっているとのことでした。

 ところが、もし病気になった時に、だれからも相手にされず、まるで自分は孤独だと感じたとしたらそれはどれほど苦しいことでしょう。
この詩篇の冒頭にこう書かれています。

主よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ、いつまでですか。あなたは。

このように1節から3節に書き記されております。

 この詩篇の作者は自分が病になった時に自分の骨はおののき、たましいも恐れおののいていると言っています。体全体が不安で、不安でしかたがなく、しかも、自分は神から見捨てられて、神に責められ、懲らしめられていると考えているのです。 (続きを読む…)

2016 年 10 月 2 日

・説教 詩篇16篇「あなたこそ私の幸い」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 17:46

 

2016.10.02

鴨下 直樹

  
 先週の火曜日から金曜日まで神戸のコンベンションセンターで第六回日本伝道会議が開かれました。会場には2000人近い牧師、宣教師たちが出席して、日本のこれからの伝道についての講演を聞き、また実に様々なテーマの分科会が開かれました。朝の9時から夜まで4日間の会議に、これほど多くの方々が出席するのかと驚きましたし、とても刺激的な講演をいくつも聞いて来ました。

 私が特に心惹かれたのはアメリカの学生伝道のリーダーをしているジェームス・チョングという方の講演です。この方は韓国の方のようですけれども、アメリカのインターバーシティーという大学生の伝道団体の指導者の方です。この講演はこんなふうに始まりました。
「もし、みなさんの教会の牧師が、『私は今日からは聖書から話をするのをやめて、私の人生経験から得たことに伝えることにします』と、宣言したら、何週間もしないうちに誰かがその牧師に何かを言うでしょう。あるいは、もし、『今週からは礼拝で賛美を完全にやめにして一時間説教に集中することにします』と言ったら、何週間もしないうちに誰かが何かを言うと思います。ところが、もし、あなたの教会の牧師が、『私たちの教会ではしばらくの間伝道しないことにします』と言ったどうなるでしょうか。ひょっとすると何年間も誰も何も言わないというようなことが起こるのではないでしょうか。そうです。私たちは伝道が嫌いなのです。」

 そんな言葉からこの講演は始まりました。そして、今度は前日この先生の行った分科会で参加者にとったアンケートを発表してくれました。アンケートに答えた人の80パーセントは牧師、宣教師たちでした。そして、90パーセントの人たちは定期的に個人に伝道をする機会があるとアンケートに答えたのだそうです。ところが、あなたは伝道が上手だと感じていますかとの質問には24パーセントの人しか自信があると答えなかったというのです。回答者の80パーセントは牧師や宣教師たちなのにです。チョング先生は、ひょっとすると日本特有の謙遜というのがここに現れているかもしれないけれど、これは驚くべき数字だと言われました。そして、伝道に必要なことはなんだと思いますかという質問には、スキルが足りないとか、自信がないとか、その他いろんな答えが返って来たというんですが、「相手のことを知らないから」という答えはそのうちの2パーセントしかなかったというデータだったのだそうです。このチョング先生は、ひょっとすると、私たちは伝道をするときに、相手のことを全く考えずに、自分のことばかり考えているのではないか。相手のことを知ろうとしていないのではないか。実はこのことが、教会の中に伝道の苦手意識を生みつけている最も大きな要因ではないか。そう言われました。私はこの講演を聞きながら、あらためて私たちの教会の伝道はどうあるべきなのかということについて考えさせられました。

 今日の詩篇は一見すると、あまり特徴のない詩篇のように見えます。私自身、ここを選んでしばらく、しまった、もっと特徴的な詩篇を選べばよかったと考えました。けれども、学んでいくうちに、この詩篇は実に興味深い詩篇だということが分かって来ました。というのは、この詩篇は、異邦人が神の民に改宗したという経緯が、その前提となっているのです。 (続きを読む…)

2016 年 9 月 25 日

・説教 詩篇8篇「神の威光は天と地に」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 15:32

 

2016.09.25

鴨下 直樹

  
 先日、私が関わっております名古屋にあります東海聖書神学塾の教師会が行われました。教師の一人が「漱石、芥川、太宰と聖書」というテーマの発題をしてくださいました。とても、興味深い講演でした。その先生が最後の方でこんなことを言われました。聖書の神を語るために文学者たちの持つ役割は小さくないと。この話の後で質疑の時間がありました。私たちの教会の古川長老が興味深い質問をしてくださいました。古川長老は今、神学校でキリスト教美術を教えてくださっていますので、教師会に参加してくださっているのです。

 それはこういった質問でした。聖書の中には、神と出会った人たちが、表現できないような神の美というようなものに触れて心動かされている部分があるけれども、教会ではこの美ということにあまり関心がないように思うと言われました。その古川さんの意見を受けて神学塾の理事長の河野先生がこう言われたのです。河野先生がアメリカの神学校で学んでいた時に、その時の実践神学の先生が、神の性質は「真、善、美」というけれども、この真理と善、義しさということは教会で語られているけれども、美という観点は今日までおろそかにされている。このことが現代の教会の課題だと言われたと言っておられました。私自身、この古川さんと河野先生の意見を聞くまで、礼拝の中でどのようにしてこの神の性質である美というものを表現できるのかということについて、あまり考えて来なかったという気がしています。けれども、たしかに聖書にはいたるところに、この神の美という視点が語られています。

 今日の説教の題を「神の威光は天と地に」としました。1節には「あなたはご威光を天に置かれました」と書かれていますから、まずは神の威光、栄光は天に示されていると書かれています。しかも、つづいて「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって力を打ち建てられました」と書かれています。この言葉は実はとても複雑な言葉でかかれていますが、幼子や乳飲み子たちを通して、神の威光は天に示されているということです。

 赤ちゃんや、幼子の言葉というのは、まだちゃんと表現することができません。何かを伝えたくて、それこそ顔を真っ赤にして泣き続けます。母親は、必死にその幼子の気持ちを受けとめようとします。この詩篇を作った人は、私たちが神の偉大さを言い表そうとしても、それは赤ちゃんの泣き声や、幼子の言葉に等しいということをよく理解しています。

 赤子や幼い者が神を褒めたたえているのに、自分が力強いと思い込んでしまっている者は、神に敵対し、自分が何者かであるかのごとく振舞っている。それは、なんと神の前に愚かしいことなのだろうか。この詩篇の作者はそのように歌っているのです。

 ある詩篇の解説者はこの詩篇は夜の礼拝の時に歌われた歌ではないかと言っています。夜の礼拝というのがあったかどうか、私には分かりませんが、レビ記を見ると祭司たちは朝まで神への献げ物の火を焚き続けることが書かれています。そのように、夜にも神への献げ物が行われたことを考えると、その献げ物を携えてきた人が夜に、幕屋や神殿で空を見上げながら礼拝をしたということは、あり得たと思います。

 今のように、夜に外にでても何も星がみえないというような時代ではありません。大気汚染もなかったでしょうし、街頭の明かりもない時代ですからそのころの夜の星空は想像を絶する美しさだったことでしょう。冒頭に、神の美の御業を、自分たちの信仰の言葉で表現する、それが詩篇でした。この時代の信仰者たちは、今の私たちには想像できないほどの紙の美しい御業の数々を見、また経験していました。ですから、とうぜん、それは信仰の言葉となって出てきたのです。 (続きを読む…)

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