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・説教 マタイの福音書9章18-26節 「絶望に立ち向かわれる主イエス」

鴨下直樹 

2011.2.13

 

先週のことです。いつも教会の掲示板に説教のタイトルを綺麗に習字で書いてくださる方がありますけれども、それを見て、妻が駆け込んできました。あのタイトルは何だというのです。ご存知のように、先週の週報でもそうでしたけれども、「長血の女」と書かれていました。妻が私に言うには、綺麗に墨で「長血の女」と書いてあるのを、街の人が見たらなんと思うかと言うのです。ひとこと、「ホラー映画でもあるまいし」という言葉付け加えてです。 続きを読む ・説教 マタイの福音書9章18-26節 「絶望に立ち向かわれる主イエス」

・説教 マタイの福音書9章14-17節 「新しい革袋」

 

2011.2.6

 

鴨下直樹

 

 今日の聖書の箇所は先週のパリサイ人との論争に引き続いての出来事です。ですから、本来であれば、先週に引き続いてひとまとめに語ることができればよかったのですけれども、残念ながらその時間はありませんでしたので、こうして二度に分けて御言葉を聴こうとしているわけです。そこで、みなさんに心にとどめておいていただきたいのは、先週お話ししました、この前に記されているパリサイ人の問いである「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか」と深く関わりあっているということです。

 それで、ここでパリサイ人に続いて主イエスに問いかけているのが、ヨハネの弟子たちです。このヨハネの弟子たちというのは、主イエスに洗礼をさずけたバプテスマのヨハネの弟子たちのことです。主イエスはこのバプテスマのヨハネから洗礼を受けておられるわけですから、ヨハネの弟子たちとしてみれば、主イエスは当然、自分たちの仲間であると考えていたでしょうし、ひょっとするとイエスというお方は、ヨハネ先生の弟弟子であると考えていたかもしれません。そのように、自分たちと近い関係であるならば、当然自分たちと行動を共にするだろうと考えたのは、私たちにもよく分かることです。 続きを読む ・説教 マタイの福音書9章14-17節 「新しい革袋」

・説教 マタイの福音書9章9-13節 「罪人を招かれる主イエス」

2011.1.30

 

鴨下直樹

 

「わたしについて来なさい」という主イエスの招きの言葉がここに記されています。主イエスについていくということは、主イエスの姿を見上げ続けるということです。そして、ここに、私たちキリスト者のあり方が語られているということができます。キリスト者とは何か、どのような者であるかと問われたら、私たちは、キリストの後に従う者ということができるのです。

さて、興味深いのはここで主イエスに招かれているのは「収税所に座っているマタイという人」と記されています。もちろん、この福音書を記したマタイのことです。自分で記した主イエスの物語の中に、自分自身のことを書くというのは考えてみると興味深いことです。 続きを読む ・説教 マタイの福音書9章9-13節 「罪人を招かれる主イエス」

・説教 マタイの福音書 「楽譜から読み解く聖書」

赤塚尚武 執事

2011.1.9

 

マタイによる福音書 第5章4節

 

 

 悲しむ者は幸いです。 その人は慰められるからです。 (新改訳版)

 

 悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。 新共同訳

 

 Selig sind,  die da Leid tragen,  denn sie sollen getroest werden.

ルター版

 

     Gluecklich zu preisen sind sie,  die trauen; denn sie werden getroestet

     werden.

ジュネーブ版聖書最新版

 

 

 私たちは文字を通して聖書を読み、祈ったり、喜んだり、希望をもったりしています。

 画家たちは聖書の僅かの短い御言葉から、素晴らしい作品を世に残しています。

 では、音楽の世界はどう聖書を表現しているでしょうか? 

 本日は作曲家たちが、聖書をどのように楽譜に表現したのかについて具体的に見てみたいと思います。 続きを読む ・説教 マタイの福音書 「楽譜から読み解く聖書」

・説教 「主の善き業に支えられ」 ローマ人への手紙12章21節

鴨下直樹

2011.1.2

新年礼拝説教

 

 

新年のローンズンゲンによる新年聖句

「悪に負けることなく、善を持って悪に打ち勝ちなさい」新共同訳

「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」新改訳

 

 

2011年を迎え、今朝は今年最初の礼拝を共に祝っています。特に、この朝は新年礼拝ということもあって、今年のローズンゲンによる「日々の聖句」の今年の年間聖句から共に御言葉を聴きたいと願っています。

 

 この新しい年に私たちに与えられているのは「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」という御言葉です。 続きを読む ・説教 「主の善き業に支えられ」 ローマ人への手紙12章21節

・説教 「宿もない者となられた主イエス」 マタイの福音書8章18-22節

鴨下直樹

2010.12.26 クリスマス礼拝

 

 

 今朝は十二月の二十六日です。二十六日というと、私たちの周りではクリスマスの騒ぎは終わりまして、すぐさまお正月の準備に移ります。お店なども、大変あわただしく模様替えをしなければなりません。ところが、この芥見教会ではこの日曜日にクリスマス礼拝をしています。一般的な感覚からすれば、まだそんなことをしているのかというような思いを持たれる方も少なくないと思います。

 教会の暦では今日は降誕祭次日と言います。ヨーロッパなどのいわゆるキリスト教国と呼ばれている国ではこの日までが休みです。今日もまたクリスマスの祝いをする日なのです。いや、今日だけではありません。教会の暦では一月の六日をエピファニーといいまして、やはりこの日も休日になったりいたしますけれども、東の国の博士たちが主イエスを礼拝した祝いの日としています。この日までをクリスマスの祝い期間とするのです。

  続きを読む ・説教 「宿もない者となられた主イエス」 マタイの福音書8章18-22節

・説教 「病をいやされる主イエス」 マタイの福音書8章14-17節

鴨下直樹 

2010.12.19

 

 

さきほど、洗礼入会式を行いました。洗礼を受けた、Mさんは子どものころから教会に通っています。親がキリスト者であるということは、子どもにとって、子どもが考えている以上に大きな祝福があります。今日は洗礼入会式のある礼拝ということもあって、子どもたちも一緒に礼拝しておりますけれども、子どもたちにもぜひ覚えてほしいのは、自分もMさんと同じように、親と同じ信仰に生きるということがどれほど幸いなことかということを積極的に考えてほしいと思うのです。

さきほどもMさんの証しを聞きました。Mさんは高校を卒業するころになって病になりました。そのために決まっていた大学も諦めなければならなかったというのは、とてもつらいことです。けれども、そのことがきっかけとなって、聖書の学びをするようになりました。聖書にはたくさんの癒しの出来事が書かれているからです。自分も癒されたいと願ったのです。 続きを読む ・説教 「病をいやされる主イエス」 マタイの福音書8章14-17節

・説教 「われらを救われる主イエス」 マタイの福音書8章1-13節

鴨下直樹

 

 2010.12.12

 

 主イエスのお語りになった山上の説教が終り、主イエスは山を降りられました。山を降りられて、人々の生活の中に入って行かれたのです。そして、そこで、さまざまな困難な状況にある人々と主イエスはお会いになられました。山の下で、多くの人びとは主イエスが自分たちの生活の場所に足を踏み入れてくださるのを心待ちにしていたのです。

このマタイの福音書の八章に記されているのは、奇跡の物語です。もっと言えば癒しの出来事が記されています。人びとはさまざまな病、さまざまな悩みを抱えていました。そして、そのように人々のあらゆる患いの主イエスは入って行かれ、そこで、人びとは主イエスと出会ったのです。 続きを読む ・説教 「われらを救われる主イエス」 マタイの福音書8章1-13節

・説教 「人生の土台を築くもの」 マタイの福音書7章24-29節

 鴨下直樹

2010.12.5

 

 

山上の説教から御言葉を聴き続けてすでに半年以上たちます。今日の箇所は、この山上の説教の最後、結びの部分と言われるところです。「主イエスがこれらの言葉を語り終えられると」とありますから、ああ、これで説教が終わったのだということが分かります。実は、私自身、この山上の説教の最後のところを迎えながら、もう一度説教をやり直すことができたという思いがしています。ここで主イエスが語られたことを十分に語ることができたかという思いがあるのです。

 

 

主イエスはここで本当の生き方、神が喜ばれる生き方とは何かを語られました。どう生きることを、神が求めておられるのかを教えてくださったのです。けれどもそれは、聞く者にとって、決して簡単なことではありません。私たちの周りに生きている人々と、全く性質の異なる生き方をするようにと、主イエスはここで語っておられるのですから、それは当たり前のことが語られているのではないのです。 続きを読む ・説教 「人生の土台を築くもの」 マタイの福音書7章24-29節

・「わたしはあなたを知っている」 マタイの福音書7章15-23

鴨下直樹

2010.11.28

いよいよ今週からアドヴェントに入りました。主イエスの誕生を待ち望む四週間の季節を私たちはさまざまな気持ちで迎えます。お気づきのように、教会の中も、マレーネ先生をはじめ、何人かの方々が綺麗に飾り付けをしてくださいました。アドヴェントクランツの蝋燭にも火が灯りました。四つの蝋燭すべてに火を灯すと、クリスマスが来るのです。

主イエスがお生まれになるということは、私たちにとって大きな喜びなのです。しかし、すでに二千年も前にお生まれになったお方を、毎年、毎年、主がお生まれになると言って楽しみにしながら心待ちにするのは、一体なぜなのでしょうか。 続きを読む ・「わたしはあなたを知っている」 マタイの福音書7章15-23