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「楽しいキリスト教美術講座」のご案内

世界の巨匠、ミケランジェロとデューラー。
二人の名作に共通するのは、その源泉が聖書であること。
前・岐阜県美術館館長 古川秀昭氏がその秘密を読み解きます。

日時:2015年6月21日(日) 午後2時~3時30分
会場:芥見キリスト教会礼拝堂
テーマ:「キリスト教美術って何? ―ミケランジェロの作品から―
費用:資料代 200円のみ
申込:資料準備のため、6月19日(金)までにFAXでお申込み下さい。
FAX:058-241-8625

キリスト教美術講座ご案内

<予告>
次回、秋の「楽しいキリスト教美術講座」は・・・

日時:2015年10月18日(日) 午後2時~3時30分
会場:芥見キリスト教会礼拝堂
テーマ:「キリスト教美術って何? ―デューラーの作品から―

です。ご期待下さい。

・説教 ヨハネの福音書12章27-36節「光のうちを歩みなさい」

 

2015.6.7

鴨下 直樹

 
 先週の礼拝の後の報告の時間に、一つの映画の紹介をしました。「レフト・ビハインド」という、キリストの再臨をテーマにした映画です。小説にもなりまして、ずいぶん多くの人々に読まれたようです。キリストが再臨された時に、クリスチャンだけが天に挙げられる、携え挙げられると書いてこれを、携挙(けいきょ)といいますが、この携挙をテーマにした映画です。この携挙という言葉は教会でも最近あまり語られなくなっていますのであまり聞いたことのない方もあるかもしれません。

 テサロニケ人への手紙4章16節と17節にこういう言葉があります。

「主は号令と、み使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から来られます。それらからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている者たちが一挙に引き上げられ、空中で主と出会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

 このみ言葉に語られている点に一挙に引き上げられて主と再会する。そして、その人々は天に上げられる。そうすると、もし、キリスト者だけがその時に天に携え挙げられるのだとすると、残された人々はどうなってしまうのだろうか。そのことを問題にしたのが、今月末に行われるこの「レフト・ビハインド」という映画です。ただし、みなさんに知っておいていただきたいのは、これは一つの聖書の解釈であって、必ずそうなるという意味ではありません。少なくとも私はそのようには信じていませんし、そのようになると聖書が言っていると単純に言うことはできません。
続きを読む ・説教 ヨハネの福音書12章27-36節「光のうちを歩みなさい」

聖餐の小説教 2015.6.7

先週の月曜日から水曜日までJEA、日本福音連盟の総会が行われました。その総会に出席しまして、そこで、今年は時に戦後70年を迎え、私たちはまさに、今、この時代に会ってどのような教会であろうとするのかという声明文を採択しました。福音派と呼ばれる私たちの教会の交わりは、実にさまざまな背景の教会がそこに属しています。それらの違う背景の持つ教会が、一つの声明文は出すと言うのはとても大変な労力のいることです。そういう意味では、それほど深められた言葉の声明文とは言い難いのですけれども、これまでの福音派の歩みを評価と反省をしつつ、今、それこそ、この国会においても、安全保障関連法案の審議をしています。特に憲法9条の解釈変更ということを、この国会で何とか通そうとしています。先日も国会に三人の専門家が呼ばれまして、この三人ともが、今回の憲法解釈の変更は違憲だという判断を下しました。そういう「今、この時」わたしたちは主イエスの与えてくださる光のなかでどのように生きるのか。そのことが表現される声明文をということが話し合われました。その今回の「戦後70年にあたっての声明」の最後にこういう言葉が書かれています。 続きを読む 聖餐の小説教 2015.6.7

今月の礼拝予定(2015年6月)

6月7日 三位一体後第一主日

主日主題: 光
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書12章27-36節
説教:「光の中を歩みなさい」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:役員会

6月14日 三位一体後第二主日

主日主題: 裁き
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書12章36-50節
説教:「主イエスを信じる者」 鴨下直樹牧師

午後:ゴスペル・カフェ、楽しい財務講座、15時~手話講座

6月21日 三位一体後第三主日

主日主題: 愛
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書13章1-20節
説教:「愛の模範」 鴨下直樹牧師

午後:礼拝準備会/礼拝細目確認会、14時~キリスト教美術講座

6月28日 三位一体後第四主日

主日主題: 信仰
公同礼拝: 午前10時30分
聖書:
説教:河合執事

午後:聖歌隊練習(礼拝後すぐ)、福祉の集い(於:岩倉教会、16:30~)

・説教 ヨハネの福音書12章20-26節 「一粒の麦という喜び」

 

2015.5.31

鴨下 直樹

 
 先週の月曜日に岐阜県基督教連合会の総会が行われました。岐阜県中の教会がこれに所属しておりまして、岐阜にある二つの刑務所に教誨師を送る働きを続けて来ております。三年前の総会で、書記に任命されまして、ようやく、その勤めを終えることができて少しほっとしております。いつも、この総会において教誨師の働きの報告を聞くのですが、せっかくまさに、教派を超えて普段は福音派の先生方との交わりが多いのですけれども、色々な立場の牧師たちが出席しますので、そこで研修ができるようにということで講師を立てて、講演をしていただいています。今年は、西濃地区の担当ということもあって、この芥見教会の前任者で、この3月まで大垣教会で牧師をしておられた後藤喜良先生が講演してくださいました。「私の福音」という、これまで牧師として働いてこられて後藤先生が大切にしてこられたことをまとめて話してくださいました。二時間近くの講演でしたので、ここでその話をすることはできませんけれども、自分はどうやって聖書を読んできたのか、どのように福音を理解して来たのかというのが主な話でした。とても良い話で、改めて聖書を丁寧に読んでいくことの大切さに気付かされました。そこで話されていたのは、何か一つのテーマが気になると、そのテーマで聖書全体をもう一度丁寧に読み直していく。そうやって、聖書全体がそのテーマについてどのように書いているのかを理解しなおしていったと話しておられました。

 そういう思いで聖書を改めて読みますと、今日、私たちに与えられているこの箇所も、いくつも考えさせられるテーマがあると思います。たとえば、今日の箇所のはじめの20節にこのように書かれています。

さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。

他の福音書と読み比べてみましても、この主イエスがエルサレムに入城したあとで、そこにギリシヤ人がいたということを書いているのはこのヨハネの福音書以外にはありません。 続きを読む ・説教 ヨハネの福音書12章20-26節 「一粒の麦という喜び」

・説教 ヨハネの福音書12章12-19節 「エルサレムに入城される主のお姿」

 

2015.05.24

鴨下 直樹

 
 今日は、ペンテコステの主の日です。私たちに聖霊が与えられた、ことを思い起こす主の日です。中部学院大学のチャペルで説教してきたときに、大学の先生から来週はペンテコステだけれども、教会で何かしますかと聞かれました。讃美歌でペンテコステの曲を歌うくらいですとその時答えたのですが、そのあとで、もう一度、今日の聖書箇所を読み直しまして、ああ、ペンテコステの礼拝の説教にふさわしい聖書箇所だと少しほっといたしました。

 今日は、エルサレム入城のところに入ります。教会歴でいえば、主イエスの受難を覚えるレントの期間の、いよいよ受難週をむかえる主の日のことを「棕櫚の主日」と呼びます。主イエスがエルサレムに入場なさる時に、人々が手に手に棕櫚の葉を掲げて「ホサナ、ホサナ」と主イエスを迎え入れました。ですから、ある意味では受難週の時に、この箇所を読むのであればまさに、ぴったりということになると思います。いったい何がこの出来事、ペンテコステにふさわしい個所なのでしょうか。少し、そんなことを心にとめてくださりながら聞いていただければと思います。

 このエルサレム入城の出来事というのは、すべての福音書に記されています。ですから、なんとなく、どの福音書も同じことが書かれていると勝手に思い込んでしまうところがありますが、このヨハネの福音書は、ほかの福音書と特に異なっているということができます。というのは、このエルサレム入城の出来事がラザロの復活ということに深く結びつけられているからです。ここで、イスラエルの人々は主イエスがエルサレムに入場されるのを大歓声で迎え入れ、そのために今日の箇所の最後の19節のところでは、

パリサイ人たちは互いに言った。「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。」

と記しています。それほどまでに、人々の心が主イエスに集中してしまい、もはや、「我々以外はみな主イエスの仲間だ」と言わなければならないほどに、人々は主イエスのエルサレム入城に熱狂したと記しているのです。それは、ラザロの復活の出来事を通して、人々の関心が主イエスに傾いたためだと、ユダヤ人たちは理解したのだと記しているのです。 続きを読む ・説教 ヨハネの福音書12章12-19節 「エルサレムに入城される主のお姿」

・説教 ヨハネの福音書 12章1-11節 「マリヤの応答とユダの応答」

 

2014.5.17

鴨下 直樹

 
 ゴールデンウィークも開けてようやく皆さんの生活も落ち着いてきたころでしょうか。私自身も、ここ数週間、ほかの教会に行かなければならないことがあったために、なかなか落ち着いてヨハネの福音書のみ言葉を聞くことができなくなっていて申し訳ない気持ちでいます。今日からいよいとヨハネの福音書の第12章に入ります。特に、今日の箇所からはヨハネの福音書は主イエスの十字架にかけられる一週間の出来事が記されます。これは、この12章から最後までですから約半分を、この受難週の出来事として記録していることになります。

 今朝はこの前に書かれていることを思い出していただきたいのですが、主イエスは、ラザロをよみがえらせた結果、ユダヤ人たちは主イエスを殺害する計画を立てました。今日の前のところ、11章57節に書かれていますのは、「イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた」とありますから、人の目を避けるようにしてベタニアに入られたようです。そこで、晩餐を取ろうとしています。そこにはマルタとマリヤと、復活したラザロも一緒です。この部分ではラザロについてはそれ以上特に何も書かれていませんけれども、よみがえったラザロが主イエスと共に晩餐を囲むというのは、何でもない記事のようですけれども、まさにラザロが生きる者とされたのだということがここから読み取ることができます。

 また、その時、姉のマルタはそのために給仕をしていたと書かれています。ルカの福音書にしるされているマルタが給仕をして、マリヤが主イエスの話に耳を傾けたと言う出来事を思い起こさせるかのようなことが書かれています。おそれく、ここでは、まさに、給仕をするマルタと、主イエスに香油を注ぐマリヤという対比が描かれていると考えられます。このように、今日の箇所は色々な人々が出て来ていて、色々な視点で考えることのできる箇所と言えますけれども、今日の箇所は、ラザロやマルタにもまして、マリヤと主イエスの弟子のユダに焦点が絞られているところだと言えると思います。

 それで、はじめにまずマリヤの信仰についてここから見て見ることにしましょう。 続きを読む ・説教 ヨハネの福音書 12章1-11節 「マリヤの応答とユダの応答」

子どもと親のプログラム(5月のご案内)

  • Mama’s cafe
    ...5月26日(火)朝10:00~12:00
  • こひつじクラブ (乳幼児と親)
    ...5月12日(火)朝10:30~12:00
  • ハレルヤちびっこ (3歳以上~就学前の子どもと親)
    ...5月9日(土)朝10:30~12:00
  • サタデージョイ(小学生)
    ...5月2日、9日、16日、23日、30日(土)朝10:00~11:30

mamacafe201505

今月の礼拝予定(2015年5月)

5月3日 復活節第五主日

主日主題: 主に向かって歌え
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書11章45-57節
説教:「イエスは何故殺されたのか?」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:役員会

5月10日 復活節第六主日

主日主題: 祈れ
公同礼拝: 午前10時30分
聖書:
説教:河出執事
聖餐式

午後:聖歌隊練習、手話講座

5月17日 復活節第七主日

主日主題: 聞いてください
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書12章1-11節
説教:「ナルドの香油」 鴨下直樹牧師

午後:礼拝準備会/月間予定確認会

5月24日 聖霊降臨祭

主日主題: ペンテコステ
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書12章12-19節
説教:「エルサレム入城」 鴨下直樹牧師

午後:各部会、女性会

5月31日 三位一体主日

主日主題: 三位一体
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書12章20-26節
説教:「一粒の麦」 鴨下直樹牧師

午後:聖歌隊練習

・説教 ヨハネの福音書11章45-57節 「イエスは何故殺されたのか?」

 

2014.5.3

鴨下 直樹

 
 今日、私たちはヨハネの福音書11章の最後の部分を、私たちに与えられたみ言葉として聞こうとしています。このヨハネの福音書11章にはラザロの復活の出来事が記されています。そして、ここで、ラザロの復活の出来事の結果、主イエスが殺害されることになったと記されています。
 月間予定表には、「イエスの殺害計画」と今日の説教箇所を書きました。看板にもそのように張り出されています。しかし、説教題を変えまして「イエスは何故殺されたのか?」と改めました。確かに、ここに書かれていることは、イエスの殺害計画についてですが、説教題としてはあまり良い題とはいえません。「イエスは何故殺されたのか?」としても十分ではないかもしれませんけれども、少なくても、イエスがなぜ殺されたのか、その理由であれば知りたいと思う方があるのではないかと考えるからです。

 今日、私たちに与えられている箇所を読みまして、はじめに私が印象として心にとまったのは、ここに書かれているのは、主イエスを殺した人々の側の出来事についてです。そうすると、どうして、そんな内向きの話が、ここでこうやって記録されているのだろうかという疑問がわきます。こういう、ドロドロした話は、できるだけ隠しておこうとするものです。人に知られてはいけない話です。本来、人殺しの計画話などというものは、そこにいた身内の人間が裏切りでもしないかぎり、外に漏れることはないはずです。ということは、こういった内容が、聖書に記録されているということは、最初は主イエス殺害に加わって、この時の内密の話し合いを聞いていた誰かが、やがてキリスト者になって、その時の事情を話したと考える以外に、考えにくいことです。

45節以下にこう記されています。 続きを読む ・説教 ヨハネの福音書11章45-57節 「イエスは何故殺されたのか?」