・今月の礼拝予定(2012年6月)

6月3日 聖霊降臨節第2主日

主日主題: 忍耐
聖書: マタイ24:1-14
説教: 「最後まで耐え忍ぶ者」  鴨下直樹牧師
聖餐式

礼拝後:愛餐会、各部会、キリスト教美術講座

6月10日 聖霊降臨節第3主日

主日主題: 終わりの日
聖書: マタイ24:15-31
説教: 「警告・終わりの日には」  鴨下直樹牧師

礼拝後:役員会

6月17日 聖霊降臨節第4主日

主日主題: 永遠
聖書: マタイ24:32-51
説教: 「滅びることのないもの」 鴨下直樹牧師

礼拝後:ゴスペルカフェ、礼拝子ども相談会、礼拝準備会

6月24日 聖霊降臨節第5主日

主日主題: 婚礼
聖書: マタイ25:1-13
説教: 「花婿を出迎える十人の娘」 鴨下直樹牧師

午後:福祉の集い、女性会

・説教 マタイの福音書23章13-39節 「偽善者として生きる?」

 

2012.5.27

鴨下 直樹

 

 今朝もまたと言ってもいいかもしれませんが、説教の題が変わっています。予告されているものでは七つの悲しみとなっていましたけれども、「偽善者として生きる?」と改めました。いつものことですが、毎月前の月に来月の説教箇所とタイトル、讃美歌を選びます。六月のものもすでに印刷されて今日みなさんの手元に届いていると思います。けれども、まだ一ヵ月も先の説教までできているわけではないので暫定的なものにすぎません。これは、前任の後藤牧師の残していった遺産ということになっております。私にしてみれば、そのために毎回、今日もタイトルを変えなくてはならないと胃酸を飲みたくなる思いをしておりますが、そういうわけですからお許し頂きたいと思います。

 

 さて、今日の聖書箇所には「忌まわしいものだ。」という言葉が八回出てきます。これは口語訳聖書は「わざわいである。」と訳されたり、新共同訳聖書では「不幸だ。」と訳されております。この言葉は、マタイの福音書のはじめに時間をかけて学びました山上の説教の冒頭に八回にわたって語られた「幸いです。」という幸いの祝福を告げる言葉に明らかに対応して、ここでは「不幸だ。」、「わざわいだ。」と記されているわけです。

 わたしはいま聖書に「忌まわしいものだ。」とあると説明しましたけれども、すでにお気づきになられた方も多いと思いますが、新改訳聖書の第三版では、ここは「わざわいだ。」と訳が変えられております。 続きを読む ・説教 マタイの福音書23章13-39節 「偽善者として生きる?」

・説教 マタイの福音書23章1-12節 「一番偉大な者」

2012.5.20

鴨下 直樹

昨年からみなさんに、ぜひ聖書を読んでくださいという話をしています。そのためか、みなさんずいぶん熱心に聖書を読んでくださっています。来週から聖書全巻痛読会という家庭集会も開かれようとしています。教会の牧師として大変嬉しく思います。ぜひ、聖書を読むということを日頃の習慣にしていただきたいと思います。
けれどもいざ聖書を読もうとすると、誰もが経験のあることだと思いますが、ただ読むだけでいいのかということがどうしても気になります。せっかく読むのであるから、何が書かれているか理解したいし、聖書が分かるという経験をしたいと願う。そうやって聖書を読んでいきますと、どうしたらこの箇所に書かれていることを実行する事が出来るかということに心がとまるようになります。自分はここから何をしなければならないかと考えて読むのです。そのように聖書を読んでいきますと、あまり難しいことを考えなくても比較的簡単に読めますから、ついついこのような読み方が身についてしまいます。
もちろん、そのように聖書を読むということは間違ったことではありません。けれども、そうやって「自分は何をしなければならないか」と考えながら聖書を読んでいるうちに、だんだん聖書を読むことが楽しくなくなってきます。聖書を読めば読むほど、自分がしなければならないことが増えていくからです。それで、気がつくとだんだんと聖書を読むことに疲れてしまって、ついには読むことを諦めてしまいます。まぁ毎週教会で説教を聞いているから大丈夫だとか、祈祷会で学んでいるからいいと考えてしまうかもしれせん。けれども、聖書を読むことを諦めてしまうということは、やはりとても残念なことです。

今日の聖書の箇所はいつも出てきています律法学者、パリサイ人に対して主イエスが語られているところです。読みようによっては、ここでパリサイ人たちをやっつけてしまわれた主イエスが、身内の者たちにまるでこれまでのうっぷんを晴らすかのように、ぐちぐちと批判をしておられるように読めます。この次のところなどは、いよいよ主イエスの口がなめらかになって、言いたい放題彼らの悪口をし始めているかのようですが、そうではないのです。 続きを読む ・説教 マタイの福音書23章1-12節 「一番偉大な者」

・説教 マタイの福音書22章34ー46節 「最後の問い」

2012.5.6

鴨下 直樹

今朝の礼拝説教のタイトルがまた変わっていることをすでにみなさんはお気づきになられたと思います。先週の週報や月間の予定表には「一番大切なこと」となっていました。この「一番大切なこと」というタイトルはすでに聖書をお聞きになれば何を意味しているかすでにお分かりのことと思います。パリサイ人が主イエスに「律法の中で、大切な戒めはどれですか。」と尋ねたことに対して、主イエスのお答えが「これが大切な第一の戒めです。」と言われたところがきているわけです。
「最後の問い」と言われると少し考えなければなりません。実は、ここは長い間なされた主イエスとパリサイ人やありとあらゆる人々との論争の最後の場面になるのです。主イエスをためすためになされた最後の問いが、実は今日の箇所なのです。

今日の聖書のところには少し面白い書き方がしてあります。

しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。

と三十四節にあります。実は主イエスがエルサレムにお入りになられてから、これまであらゆる人々がやって来て主イエスに難問を突き付けてきておりましたが、実はまだ一度も直接パリサイ人からの問いはなされておりません。例えば十五節以下のところを読みますと、パリサイ人はヘロデ党の者に質問させているという場面はあります。また、主イエスのお答えが自分たちに向けて言われていることに気づいてイエスを捕らえようとした、などということはすでに記されておりますけれども、直接に問うのはここの場面なのです。 続きを読む ・説教 マタイの福音書22章34ー46節 「最後の問い」

・今月の礼拝予定(2012年5月)

5月6日 復活後第4主日

主日主題: 主に向かって歌え
聖書: マタイ22:34-46
説教: 「一番大切なこと」  鴨下直樹牧師

礼拝後:各部会、聖歌隊練習

5月13日 復活後第5主日

主日主題: 祈れ
聖書: 創世記3:1-12
説教: 「あなたはどこにいるのか」 野田喜裕牧師

礼拝後:役員会

5月20日 復活後第6主日

主日主題: 私の声を聞いてください
聖書: マタイ23:1-12
説教: 「一番偉大な者」 鴨下直樹牧師

礼拝後:乳幼児の親の会、映画会

5月27日 聖霊降臨祭

主日主題: ペンテコステ
聖書: マタイ23:13-39
説教: 「七つの悲しみ」 鴨下直樹牧師

午後:大掃除

・説教 マタイの福音書22章23-33節 「生ける者の神」

2012.4.29

鴨下 直樹

先週、私はある一冊の本を読んで過ごしました。それは、精神科医で作家でもある加賀乙彦さんが最近出版された『科学と宗教と死』という小さな本です。小さな本ですけれども、この加賀さんの自伝と言ってもいいような内容の書物です。自分が医師としてどのように生き、作家としてどう生きたか。特に、「死」という問題に生涯向かい合ってきた人ですから、死をめぐるいくつもの言葉が載せられています。
この本を読みながら、木曜に近くにありますキリスト教の老人ホームを訪れ、そこでイースターのテーマで短い説教をしてきました。大変印象的な体験となりました。そして昨日、執事であるKさんのお母さんが倒れたという知らせを受けました。
この一週間、死ということを心にとめ続けてきた一週間だったと言っていいと思います。

そのように、この一週間ずっと死ということを考えながら、この今朝与えられている御言葉を読み続けてきたのです。それは、私にとって特別な体験となりました。ここで語られていることも、「死」の問題です。
「人は死と向き合うとどうなるか。」 続きを読む ・説教 マタイの福音書22章23-33節 「生ける者の神」

・説教 マタイの福音書22章15-22節 「あなたは一体何者か?」

2012.4.15

鴨下 直樹

先日、車の中であるラジオ番組を聞きました。東京大学情報学環教授の姜尚中(カンサンジュン)さんの番組です。この方は昨年までNHKの日曜美術館という番組の司会もやってこられた方です。日曜の朝九時から十時までという時間ですから見たことのある方は少ないかもしれません。この方はもともと政治学が専門なのですけれども、そういう番組を任されるほどこの方は美術というものに深い関わりを持ってこられました。この方がキリスト者であるということはあまり知られておりませんけれども、信仰に生きておられる方です。この姜尚中さんが昨年末に『あなたは誰?、わたしはここにいる』という小さな本を書かれました。このラジオはこの本についてのインタビューだったのですが、大変心動かされる内容でした。

 これは姜尚中さんがまだ二十代の後半の時、これから自分が何をしていいかわからないでいた時にドイツに行ったんだそうです。南ドイツのミュンヘンにあるアルテ・ピナコテークという美術館を訪れます。そこで、一枚の絵との出会いが姜さんの人生を決定的に変えたと言います。その絵はアルブレヒト・デュラーの自画像ですけれども、この絵はデュラー自身、二十八の時に描いたものです。姜さんはこの絵を見ていて、この絵から問いかけられているような気がしたのだそうです。「あなたは一体何者のか。」と。「私はここにいる。あなたはどこに立っているのか。」とデュラーに問いかけられながらも、その絵から深い慰めを受けたといいます。今、将来どうしていいかまだ分からないでいる自分の生き方もゆるされているような気がしたと、そのラジオのインタビューの中で答えておられました。

 私たちはそのように自分自身が何者であるかということを自分自身に問う時に、私たちはどのように答えを見つけ出すのでしょう。

続きを読む ・説教 マタイの福音書22章15-22節 「あなたは一体何者か?」

・説教 マタイの福音書22章1-14節 「神からの招待」

2012.4.8
イースター礼拝

鴨下 直樹

イースターおめでとうございます。このイースターの礼拝を子どもたちと一緒にお祝いすることができることを嬉しく思います。この朝私たちに与えられている聖書もまた、祝いの場面です。結婚の祝いの場面です。しかもそのお祝いは、王さまからの直々の招待だというのです。王子が結婚をするというので、その祝いの場に招待されるというのですから、これは誰もが心待ちにし楽しんで出かけるところでしょう。
ところが、今日の話は少し変わっています。そのような王の結婚の宴に招いておいた人々が「来たがらなかった。」というのです。食事に期待できないからでしょうか。あるいは、王さまのことが嫌いだからでしょうか。王さまのことが嫌いでも、生涯に一度あるかどうかの王の宴会ですから、参加しておいても損はないと思うところですが、招かれた人々は畑仕事や商売に出かけて行ってしまいます。それどころか、ある人たちはこの祝宴に招いてくれた王のしもべを殺してしまったとさえ書かれています。
しかも、話はそれだけではありません。招いた人々が誰も来ないので、今度は大通りに出かけて行って出会った者を誰でもいいからこの祝宴に招くようにとしもべに伝え、片っぱしから宴会に招いたのだというのです。それで話が終わればいいのですけれど、今度はそのようにして招かれた人の中に、婚礼の礼服を来ていない人が一人いたといいます。そして、この人を縛り上げて外に出してしまったというのです。

さらに、この話の最後に何が書かれているかと言いますと、「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」とあるのです。選ばれる者は少ないと言ったって、追い出されたのは一人だけなのですから、謎は深まるばかりです。 続きを読む ・説教 マタイの福音書22章1-14節 「神からの招待」